しきてい‐さんば【式亭三馬】
式亭三馬
式亭 三馬 (しきてい さんば)
1776〜1822 (安永5年〜文政5年) |
【滑稽本作家】 江戸弁の会話を巧みに取り入れた「浮世風呂」「浮世床」で、庶民生活を活写。 |
江戸後期の草双子・滑稽本作家。浅草で版木師の家に生まれる。はじめ書店、のち薬屋を営みながら著作に従事。滑稽本『浮世風呂』『浮世床』では、庶民の社交場である湯屋と髪結床での会話を江戸弁で活写した。草双子を数冊とじた合巻ものの人気を高めた端緒を開いたことでも知られる。 |
年(和暦) | ||
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 7才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 13才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 14才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 15才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 21才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 27才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 30才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 32才 |
・近藤 重蔵 | 1771年〜1829年 (明和8年〜文政12年) | +5 |
・徳川 家斉 | 1773年〜1841年 (安永2年〜天保12年) | +3 |
・間宮 林蔵 | 1775年〜1844年 (安永4年〜弘化元年) | +1 |
式亭三馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 20:12 UTC 版)
式亭三馬(しきていさんば、安永5年(1776年) - 文政5年閏1月6日(1822年2月27日))は、江戸時代後期の地本作家で薬屋、浮世絵師。滑稽本『浮世風呂』『浮世床』などで知られる。名は菊地泰輔、字は久徳。通称は西宮太助。戯号は四季山人、本町庵、遊戯堂、
- ^ 棚橋正博:『式亭三馬』新装版、ぺりかん社(2007)p.2
- ^ a b c 岡本勝・雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、150頁。
- ^ “粋と洒落!江戸の広告作法「えどばたいじんぐ」 ⑦ | ミュージアム通信 | アドミュージアム東京”. www.admt.jp. 2020年4月22日閲覧。
- ^ 鈴木敏夫:『江戸の本屋(上)』、中公新書(1980)p.163 ほか
- ^ 題簽書名は『滑稽絵入忠臣蔵偏痴気論』(早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵)
- ^ 三馬自身も自宅を逆恨みで集団に襲撃され、かつ被害者なのに処罰された経験があり、討ち入りを義挙とせず否定する作風が多い。
- ^ 増原奈摘「式亭三馬『忠臣蔵偏痴気論』成立についての考察」(法政大学国文学会、2020年)
- ^ 勝田武尭が大根売りをしたり、裸で討ち入りに駆け付けてきた史実はなく創作である。
式亭三馬(1776年 - 1822年)
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「曲亭馬琴」の記事における「式亭三馬(1776年 - 1822年)」の解説
『浮世風呂』(1809年)が一世を風靡した滑稽本作者であるが、目指す文芸の方向性の違いもあり、馬琴と三馬は険悪な関係にあった。『近世物之本江戸作者部類』で馬琴は「(三馬は)馬琴を憎むこと讐敵のごとしと聞こえたり」と述べている。馬琴には三馬の読本『阿古義物語』(1810年)を酷評した批評文「駢鞭」(「駢」は原文では「馬」を三つ並べた異体字であり、三馬を鞭打つという含意が明らかである)が残っている(『曲亭遺稿』所収)。『近世物之本江戸作者部類』では、「純粋の戯作者」「才子」(才に頼み古典教養がないという批判も含まれる)としつつ、馬琴の書からの剽窃があることを断じるなど、三馬に辛辣な批判を加えている。
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