鷲羽丸
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鷲羽丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 車載客船 |
クラス | 紫雲丸級車載客船 |
船籍 | ![]() |
所有者 | 運輸省鉄道総局 日本国有鉄道 |
運用者 | ![]() 日本国有鉄道 |
建造所 | 播磨造船所[1] |
母港 | 東京港/東京都[2] |
姉妹船 | 紫雲丸 眉山丸 |
船舶番号 | 61153[2] |
信号符字 | JQDY[2] |
経歴 | |
起工 | 1947年3月11日[3] |
進水 | 1948年2月28日[3] |
竣工 | 1948年5月29日[3] |
就航 | 1948年6月25日[4] |
運航終了 | 1967年10月24日[5] |
最後 | 1968年7月17日解体 |
要目 | |
総トン数 | 就航時 1,456.2トン 終航時 1,514.2トン |
載貨重量 | 567トン[2] |
全長 | 76.2m |
垂線間長 | 72.0m[2] |
型幅 | 13.2m |
型深さ | 5.0m[2] |
主機関 | 石川島製タービン機関 2基[2] |
推進器 | スクリュープロペラ 2軸 |
出力 | 2,030SHP[2] |
最大速力 | 14.546ノット[2] |
航海速力 | 12.8ノット[2] |
旅客定員 | 就航時 一等:20名 二等:167名 三等:1,313名 終航時 二等:255名 三等:1,419名 |
車両搭載数 | ワム換算14両 |
鷲羽丸(わしゅうまる)は、日本国有鉄道(国鉄)鉄道連絡船の宇高連絡船の船舶である。
紫雲丸型の3番船で、同型船には「紫雲丸」、「眉山丸」がある。宇高航路においては、初の車載客船でもあった。
船歴
太平洋戦争後、宇高連絡船は輸送量が増加し、従来の船舶では需要の増大に対応できなくなったことから、大型船の導入が計画され、1946年(昭和21年)から3隻の大型船の建造が進められた。
「鷲羽丸」は播磨造船所で建造され[1]、1947年(昭和22年)3月11日に起工[3]。1948年(昭和23年)2月28日に進水し[3]、同年5月29日に竣工[3]。竣工と同時にGHQの日本商船管理局(en:Shipping Control Authority for the Japanese Merchant Marine, SCAJAP)によりSCAJAP-W013の管理番号が付与された[2]。 同年6月25日に就航[4]。紫雲丸型では3番目の就航であった。
1950年(昭和25年)3月13日、昭和天皇の四国巡幸(昭和天皇の戦後巡幸)に際し「鷲羽丸」がお召し船となり、四国へ向かう天皇を乗せた[6][7]。
この直後の同年3月25日0時53分、直島と荒神島間の直島水道にて、「鷲羽丸」(下り貨物1021便)と「紫雲丸」(上り貨物1020便)が衝突。「鷲羽丸」の船首が「紫雲丸」の船尾車両甲板下の3等客室前部右舷に突き刺る。「紫雲丸」は横倒しになり、1時4分に沈没。死者7名。
1952年(昭和27年)9月23日、高松鉄道桟橋沖で「福浦丸」と接触[8]。翌1953年(昭和28年)1月18日、高松港赤灯台台下に乗り上げた[8]。
1954年(昭和29年)4月29日、「鷲羽丸」は「第一チュンシン丸」[9]と衝突した[10]。「鷲羽丸」は、その日の2時20分に高松港を出港して宇野港へ向かっていた[11]。西航する「第一チュンシン丸」を認め500メートルまで接近したところで船長は右転を命じた[12]。一方の「第一チュンシン丸」船長は当初、北航する「鷲羽丸」の前方を横切れると思っていたが、その後無理と判断して左転を命令[12]。両者は接近し、双方で機関停止などが命じられるも衝突した[12]。「鷲羽丸」に被害はなかったが、「第一チュンシン丸」は浸水して水船となり、高松港へ曳航された[12]。
1956年(昭和31年)8月13日、高松港口白灯台台下で漁船と接触[13]。
1967年(昭和42年)10月24日、休航[5]。1968年(昭和43年)1月20日、高松港西防波堤に係船[5]。同年7月15日に甘糟産業汽船に2230万円で売却された[5]。同年7月17日、解体[2]。
脚注
- ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』337ページ
- ^ a b c d e f g h i j k l “なつかしい日本の汽船 鷲羽丸”. 長澤文雄. 2025年5月3日閲覧。
- ^ a b c d e f 『播磨造船所50年史』467ページ
- ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』282ページ
- ^ a b c d 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』292ページ
- ^ 『宇高航路50年史』16ページ
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、102頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』285ページ
- ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』286ページでは「天信号」(24トン)
- ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』187-188ページ
- ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』187ページ
- ^ a b c d 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』188ページ
- ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』288ページ
参考文献
- 萩原幹生(編著)『宇高連絡船78年の歩み』成山堂書店、2000年、ISBN 4-425-92331-6
- 『宇高航路50年史』日本国有鉄道四国支社宇高船舶管理部、1961年
- 播磨造船所50年史編纂室(編)『播磨造船所50年史』播磨造船所、1960年
固有名詞の分類
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