4度目までの事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:40 UTC 版)
1度目の事故 1950年(昭和25年)3月25日、宇野を定刻より20分遅れの0時35分に出港した下り貨物1021便(鷲羽丸)と、高松を定刻10分遅れの0時10分に出港した上り貨物1020便(紫雲丸)が、0時58分に直島と荒神島に挟まれた狭い海域で衝突した。鷲羽丸が紫雲丸の横に衝突する形であり、紫雲丸は横転し、1時4分に完全に沈没した。乗組員72名の内、7名が死亡した。その後紫雲丸は引き揚げられ、連絡船に復帰した。 2度目の事故 1951年(昭和26年)8月、高松港内で「第二ゆす丸」と衝突。後日レーダー設置。 3度目の事故 1952年(昭和27年)4月、高松港外で捨石に接触。後日ジャイロコンパス設置。 4度目の事故 1952年(昭和27年)9月、高松港内で「福浦丸」と接触。
※この「4度目までの事故」の解説は、「紫雲丸事故」の解説の一部です。
「4度目までの事故」を含む「紫雲丸事故」の記事については、「紫雲丸事故」の概要を参照ください。
- 4度目までの事故のページへのリンク