第二宇高丸とは? わかりやすく解説

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第二宇高丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 16:49 UTC 版)

第二宇高丸
第二宇高丸(1939年より前)
基本情報
船種 貨車航送船
船籍 大日本帝国
日本
所有者 鉄道省
運輸通信省
運輸省鉄道総局
日本国有鉄道
西桜島村
運用者 鉄道省
運輸通信省
運輸省鉄道総局
日本国有鉄道
西桜島村
建造所 大阪鉄工所桜島工場[1]
母港 東京港/東京都
鹿児島港/鹿児島県[2]
信号符字 JRLJ[3]
IMO番号 39111(※船舶番号)[3]
改名 第二宇高丸→第二櫻島丸[2]
建造期間 224日
経歴
起工 1933年11月25日[2]
進水 1934年3月27日[2][3]
竣工 1934年7月6日[1]
就航 1934年7月12日[1]
終航 1961年4月24日[2]
その後 1962年12月25日第二櫻島丸となる[2]
要目
総トン数 322.87トン[3]
載貨重量 246トン[2]
長さ 45.73m[3]
型幅 10.06m[2][3]
型深さ 2.591m[2][3]
満載喫水 1.730m[3]
主機関 5気筒4サイクル単動無気噴射ディーゼル機関 2基[4]
新潟式ディーゼル機関 2基[2][5]
推進器 1軸
出力 190PS×2[2]
定格出力 210BHP×2[4]
航海速力 9.38ノット[5]
旅客定員 三等:12名[5]
車両搭載数 ワム10両[5]
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第二宇高丸(だいにうこうまる)は、鉄道省(後の日本国有鉄道宇高航路に在籍した自航式の貨車航送船

船歴

宇高航路で1927年末ごろには野菜や果実の滞貨が生じ、輸送方式改善が要望されるようになった[6]。また、従来の渡艀による貨車航送には腐食や損傷がひどく多額の修理費がかかること、風雨に弱く欠航が多いといった問題があり、その抜本的改善のために自航船が建造された[7]。それが「第一宇高丸」であり、次いで土讃線と高徳線の開通に備えて建造されたのが「第二宇高丸」である[7][7]。 「第二宇高丸」は「第一宇高丸」とほぼ同型で、曳航式と自航式併用の欠点が改善されている[4]。「第一宇高丸」との外観の違いは、ブリッジの形状である[要出典]

大阪鉄工所桜島工場で建造され、1933年11月25日に起工し[2]、1934年3月27日に進水[2][3]。同年7月6日に竣工し[1]、同12日に就航した[1]

1942年4月4日、俎石灯標の南東約1000mで「第一宇高丸」と衝突[8]。1943年4月6日、直島水道難点で座礁[9]。自力で離礁し、損傷はなかった[9]。1944年11月11日、中ノ瀬浮標南東約300mで「紀ノ川丸」(873トン)と衝突[10]

太平洋戦争終戦直後、復員軍人などの輸送に対応するため「第一宇高丸」と「第二宇高丸」も旅客輸送に投入され、車両甲板に旅客を乗せて輸送した[11]

1947年2月25日、推進機が故障し航行不能となった[12]

10月14日、「第二宇高丸」は中ノ瀬浮標付近で「第三関門丸」と衝突し沈没[12]。10月22日に引き揚げられた[12]

1950年2月10日、「第二宇高丸」は乗り揚げ事故を起こした[13]。「第二宇高丸」は貨車10両を積んで同日1時20分に高松港を出港し、宇野港へ向かった[14]。霧が出る中北進中に濃霧となったため船長は仮泊しようと舵を左に切らしたものの、先の灯標が見えたように感じたことから進めるかもと思い回頭を続行[13]。その後、結局進むのを断念した船長は針路を南30度東に向けようとしたが、北30度を向いているところですでに南を向いたものと勘違いし、そこで針路保持を令した[15]。そのまま間違いに気づくことなく進んだ結果、「第二宇高丸」は2時20分に直島串山鼻に乗り揚げた[15]。船長は海難審判で航海士免状一か月停止となった[16]

1954年4月22日、「第二宇高丸」は渡船「瀬戸丸」と衝突した[17]。その日の0時31分、「第二宇高丸」は貨車11両を積んで宇野港を出港した[18]。一方、「瀬戸丸」は同0時32分に宇野給水所桟橋を出港[19]。同船は「第二宇高丸」に気づかず、漁船を避けようとした際に「第二宇高丸」に衝突して水船となった[19]

1961年4月24日、高松港西防波堤に係船[20]。1962年12月13日、鹿児島県西桜島の武氏に1361万5千円で売却された[20]

1963年12月25日、鹿児島県西桜島村(当時)が「第二宇高丸」を購入し、「第二櫻島丸」に船名を変更する[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』274ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 第二宇高丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2025年3月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』336ページ
  4. ^ a b c 『宇高航路50年史』53ページ
  5. ^ a b c d 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』337ページ
  6. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』48、112ページ
  7. ^ a b c 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』49、112ページ
  8. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』277ページ
  9. ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』278ページ
  10. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』279ページ
  11. ^ 『宇高航路50年史』102-103ページ
  12. ^ a b c 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』281ページ
  13. ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』182-188ページ
  14. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』182ページ
  15. ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』183ページ
  16. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』184ページ
  17. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』186-187ページ
  18. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』186ページ
  19. ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』187ページ
  20. ^ a b 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』290ページ

参考文献

  • 萩原幹生(編著)『宇高連絡船78年の歩み』成山堂書店、2000年、ISBN 4-425-92331-6
  • 『宇高航路50年史』日本国有鉄道四国支社宇高船舶管理部、1961年



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