車両渡船建造の経緯とは? わかりやすく解説

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車両渡船建造の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/22 07:34 UTC 版)

第三宇高丸」の記事における「車両渡船建造の経緯」の解説

宇高航路でも増大する輸送需要に対応すべく、1936年昭和11年)には青函航路準じた大型車両航送システム導入決定していたが、戦争のためやむなく中断していた。 戦後急激な輸送需要増大で、中断していたこの大型車両航送システム導入計画復活し1947年昭和22年)から1948年昭和23年)までにこの車両航送システム対応した1,400総トン級の紫雲丸車載客船3隻を就航させ、可動橋などの水陸連絡設備完成待って1949年昭和24年3月から車両航送行っていた。 しかし低速で、乾舷低く耐波性に劣る300総トン級の車両渡船第一宇高丸第二宇高丸使用する従来からの車両航送システム併用しており、車両航送能力未だ安定であった。そのうえ、1950年昭和25年)からは朝鮮特需による急激な貨物輸送需要の増加もあり、国鉄貨車航送能力早急な増強迫られ、ここに大型車両航送システム対応の車両渡船建造決定した船名旅客扱いのない純車両渡船ということで、前記小型車両渡船から連番第三宇高丸となった同型船はない。

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車両渡船建造の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 00:41 UTC 版)

第一青函丸」の記事における「車両渡船建造の経緯」の解説

1914年大正3年7月第一次世界大戦 勃発は、その後大戦景気と、世界的な船腹不足による海運貨物鉄道への転移もたらし従前より貨物輸送力の逼迫していた青函航路は、1918年大正7年以降、両港に滞貨の山を築く混乱状態に陥ったこのため当時鉄道院運輸局船舶課は、輸送力抜本的増強目指し、本航路への車両航送導入図り1924年大正13年)末までに 翔鳳丸車載客船4隻を建造就航させた。当初は、これに引き続き旅客設備のない車両渡船 1隻の建造1923年大正12年)中の着工予定であったが、同年 9月1日発生した関東大震災のため、その着工1925年大正14年)まで延期された。

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