宗谷丸
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宗谷丸(そうやまる)は、太平洋戦争終戦直後まで鉄道省(日本国有鉄道の前身)が稚泊連絡船で使用していた貨客船である。稚泊連絡船は、北海道稚内と当時日本領だった樺太大泊との間を結んでいた。
- ^ a b c d “宗谷丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『稚泊連絡船史』84-85ページ
- ^ Soya_Maru - フィート表記
- ^ a b c d e 『稚泊連絡船史』86-87ページ
- ^ Soya_Maru
- ^ 『稚泊連絡船史』80ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』80-81ページ
- ^ a b c 『稚泊連絡船史』81ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』247-248ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』334ページ
- ^ a b 『稚泊連絡船史』249ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』319ページ
- ^ a b c 『稚泊連絡船史』320ページ
- ^ a b 『稚泊連絡船史』321ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』330-331ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』83ページ
- ^ 「南極観測船“宗谷”の改造工事について」レジメ
宗谷丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:13 UTC 版)
壱岐丸代船として建造。1932年12月22日就航、1945年8月24日終航。戦後は青函航路に転属。
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