対馬丸の船体放棄と亜庭丸建造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:09 UTC 版)
「対馬丸 (連絡船・初代)」の記事における「対馬丸の船体放棄と亜庭丸建造」の解説
対馬丸座礁事故から5ヵ月後の1926年(大正15年)4月下旬、鉄道省は対馬丸引き揚げを断念し、代船建造を決定した。旅客定員754名、総トン数3,297.87トン、載貨重量470トンの本格的な大型砕氷船 亜庭丸で、神戸製鋼所播磨造船工場で建造され、1927年(昭和2年)12月8日、就航した。 また、対馬丸座礁事故を教訓に、僚船壱岐丸には事故翌年の1926年(大正15年)、日本初となる音響測深儀や測程儀、無線方位測定機が装備され、船位測定能力の向上が図られた。 対馬丸は1926年(大正15年)5月18日、雑種財産に編入され、競売に付されたが買い手がつかず、1973年(昭和48年)の海図には事故地点に「大正14年沈船」と表示されていた。
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