対馬丸慰霊碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 16:59 UTC 版)
第二次世界大戦末期の1944年8月22日夜、学童疎開の児童等を乗せ長崎へ向かっていた貨物船対馬丸が島の北西沖10kmでアメリカ軍の潜水艦ボーフィンの魚雷によって撃沈され、乗員乗客1,788名中1,418名もの犠牲者を出した。沖縄からの疎開船で最大の犠牲者を出した事件で、1970年の27回忌に慰霊碑が建立された。
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