対馬丸・壱岐丸2隻運航
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「対馬丸 (連絡船・初代)」の記事における「対馬丸・壱岐丸2隻運航」の解説
2隻による毎日運航は対馬丸再就航の1924年(大正13年)8月13日から開始された。これにより、4月から11月までの“夏期運航”は、毎晩稚内を22時30分、大泊を22時に出港し、大泊に6時30分、稚内に6時に入港するダイヤで、時刻変更は1924年(大正13年)6月1日の列車時刻改正から行われていた。“冬期運航”は12月のみ昼航便が1ヵ月15往復、1月から3月までは昼航便が1ヵ月12往復であった。 この間の1925年(大正14年)5月1日から6月24日まで、両船が検査工事のため函館船渠へ順次入場したため、5月1日から6月25日まで、前年10月まで青函航路で長く傭船として運航されていた伏木丸(1,330.28総トン)を傭船して毎日運航を確保したが、稚泊航路における傭船はこの1回だけであった。
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