対馬丸シュルコマナイ座礁事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:09 UTC 版)
「対馬丸 (連絡船・初代)」の記事における「対馬丸シュルコマナイ座礁事故」の解説
対馬丸は壱岐丸の稚泊航路への本格就航を目前に控えた1924年(大正13年)7月18日5時30分、前日22時大泊発の2便として稚内入港直前、濃霧のため針路を誤り野寒岬近くのシュルコマナイ沖455mで座礁した。非常汽笛により、異常を知った稚内桟橋から稚内築港事務所の稚内丸と旭丸が現場に急行し、7時30分までに旅客312名の移乗と貨物陸揚げを完了させたが、離礁までには10日を要し、ようやく7月29日、函館船渠へ回航、船底外板剥脱と左舷推進器翼4枚の破損を修理し、8月12日稚内へ戻った。
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