座礁事故
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「ガーディアン (掃海艦)」の記事における「座礁事故」の解説
2013年1月17日2時25分(現地時間)、ガーディアンはスービック湾からインドネシアへ向かう途中、世界遺産に登録されているフィリピン沖のトゥバタハ岩礁海中公園内で、サンゴ礁に乗り上げ座礁した。トゥバタハ岩礁海中公園を管轄する公園保護官らは、ガーディアンに無線で同艦がトゥバタハのサンゴ礁に接近していると警告していたが、ガーディアンの艦長は米大使館に苦情を申し立てると反発。ほどなくガーディアンはサンゴ礁に乗り上げ座礁した。乗員79名に死傷者はいなかった。 この事故について米海軍は謝罪した。フィリピン政府は、この事故で1,000平方メートルに及びサンゴ礁が損害を受けたと推定している。 事故後、1月18日に救援に派遣された海洋観測艦バウディッチと特殊支援艇チャンピオンへ、79名の全乗員を避難させた。事故直後は船首のみがサンゴ礁に乗り上げていたが、次第に波によって打ち上げられてしまい、結果的に船体の全てが乗り上げてしまった。 ミサイル駆逐艦マスティン、海洋観測艦Bowditch、サルベージ船Salvorが救援に駆けつけ、曳航による救援活動や、クレーン船により吊り上げ台船へ載せる方法も検討されたが、世界遺産であるサンゴ礁への影響が大きく、最終的に周辺の影響を押さえた救出は不可能と判断された。1月24日には、流出防止のためにディーゼル油の抜取りが行われ、マレーシア船籍の曳船が56.8キロリットルの燃料を抜き取った。1月29日にはサンゴ礁への被害を最小限にするため、艦を廃棄した上で、3つに切断し撤去されることが発表された。2月15日、ガーディアンは海軍の艦籍簿から抹消され、退役、除籍となった。2月23日より、現地で解体作業が開始された。 2013年3月、アメリカ海軍は同型艦のウォリアーを第5艦隊から異動させ、ウォリアーの乗員をガーディアンの乗員と入れ替えた上で、母港をバーレーンから佐世保へ変更し、ガーディアンの交替とした。 フィリピン議会は、この事故によるアメリカ合衆国の対応を問題視しており、罰金をアメリカ合衆国に課するため事件として捜査するように提起するなど、事故現場が世界遺産であることも併せて問題化している。事故の原因は、搭載していた電子海図に記録されていた環礁の位置が、実際と異なっていたからとされている。
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座礁事故
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2002年(平成14年)、チルソン号は日本の北朝鮮支援団体レインボーブリッヂが寄付した燃料用ゴムタイヤチップ1,100tを輸送するために日立港を訪れた。しかし検疫のために錨地で停泊中、折からの悪天候によりうねりで約800m流されたのちに、12月5日午前0時10分頃に日立港東防波堤で座礁した。 座礁した船体に転覆の恐れはなく、21名の乗組員に負傷者はなかったが、船体から燃料の重油が流出。翌日には常陸那珂港から磯崎漁港の広い範囲にかけて油が漂着する被害を出した。重油の撤去は800名弱のボランティア活動などにより12月中に解消されたものの、座礁した船は消波ブロックにくい込み離礁できず、長い間、日立港に座礁した姿をさらし問題となった。 12月18日には、那珂湊海上保安部から船主に対して同船の早期撤去を求める警告書が出され、茨城県も北朝鮮側に対して船の撤去を求めたものの、「事故の原因は、海図に載っていない防波堤を勝手に作った日本側にある。」と黙殺された。結局、県などが費用(解体費用だけで約2億円)を出資して解体処分した。
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