アメリカ合衆国の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:53 UTC 版)
「第二次バーバリ戦争」の記事における「アメリカ合衆国の対応」の解説
1815年2月に米英戦争が終わり、アメリカ合衆国は再度北アフリカに注意を向けることができるようになった。3月3日、アメリカ合衆国議会はアルジェに対して海軍を動員することを承認し、2つの戦隊が編成され、戦争の準備が整った。ウィリアム・ベインブリッジ代将の指揮する戦隊はボストン港に、スティーヴン・ディケーター代将の指揮する戦隊はニューヨーク港に集結した。ディケーターの戦隊が先に準備が整い、5月20日に出港した。この戦隊は旗艦であるフリゲートUSSゲリエール(大砲44門搭載、ウィリアム・ルイス艦長)、USSコンステレーション(大砲36門搭載、チャールズ・ゴードン艦長)、HMSマケドニア(大砲38門搭載、ジェイコブ・ジョーンズ艦長)、スループ・オブ・ウォーのエペライイ(大砲16門搭載、ジョン・ダウンズ艦長)とオンタリオ(大砲16門搭載、ジェシー・D・エリオット艦長)、ブリッグのファイアフライ(大砲14門搭載、ジョージ・W・コジャーズ艦長)、スパーク(大砲14門搭載、トマス・ギャンブル艦長)、フランボー(大砲14門搭載、ジョン・B・ニコルソン艦長)、スクーナーのトーチ(大砲12門搭載、ウォルコット・ショーンシー艦長)とスピットファイア(大砲12門搭載、アレクサダー・J・ダラス艦長)の合計10艦で構成された。 ベインブリッジの戦隊は準備が遅れ、7月1日に出港したので、戦争に間に合わなかった。
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