松前丸とは? わかりやすく解説

松前丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/06 20:25 UTC 版)

松前丸(まつまえまる)日本の船舶につけられた船名。

  • 松前丸 (初代) - 青函連絡船の一つ。翔鳳丸型。函館空襲にて空襲を受けた。
  • 松前丸 (2代) - 青函連絡船の一つ。津軽丸型客載車両渡船第3船。第二次世界大戦後に建造され、運航された。
  • 1891年(明治24年)春に恵山沖にて失火事故を起こした旅客船(椴法華村史)。

松前丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:51 UTC 版)

翔鳳丸」の記事における「松前丸」の解説

1923年大正12年6月13日 - 起工三菱造船長崎造船所1924年大正13年10月24日 - 竣工 1941年昭和16年2月11日 - 穴澗沖に座礁 ボイラー室浸水 2月14日離礁 1942年昭和17年)春 - 6号缶の水管破裂火手3名死亡 1945年昭和20年7月14日函館5時50分発の14便として出航準備中の4時45分空襲警報発令されたため、旅客のみ下船させ、貨車26積載のまま5時24分離岸し港外退避。5時42分、防波堤灯台過したところで、松前丸に先行し函館を5時08分、194便として出航し登支岬沖を航行中第四青函丸周辺水柱数本立つのを視認した。松前丸は当時操舵室屋上左右に25ミリ機関銃各1基、後部左右に13ミリ機関銃各1基を装備し連絡船の中では最強武装であった。5時53分よりアメリカ軍機の来襲あり、函館湾内で縫航運動行い空襲から逃れようとしたが、攻撃執拗で、沈没回避のため七重浜への座洲を決断し七重浜へ向け全速運転したその後6時18分には端艇甲板貫通し機関室右舷達す命中弾を受け火災発生し、以後減速していったが、6時30分、第3防砂底堤西約1,000mの七重浜に座洲した。しかし火災激しく6時45分総員退船発令乗組員95名中22名が戦死アメリカ軍機1機を撃墜、1機撃破している。

※この「松前丸」の解説は、「翔鳳丸」の解説の一部です。
「松前丸」を含む「翔鳳丸」の記事については、「翔鳳丸」の概要を参照ください。

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