松前の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:06 UTC 版)
4月11日、松前を守備していた伊庭八郎率いる遊撃隊と春日左衛門率いる陸軍隊を中心とする部隊500名が江差奪還のために出撃する。根武田(現・松前町)付近で新政府軍の斥候を蹴散らし、翌日には一気に茂草(現・松前町)まで進出、新政府軍は江差まで退却。このまま江差奪還を目論んだが、新政府軍が後方の木古内に進出中との情報を受け、松前へ撤退する。 4月17日、新政府軍は松前を攻撃。新政府軍の艦砲射撃に加えて戦力差は歴然としており、40名以上の戦死者を出した旧幕府軍は松前城を放棄して、知内まで敗走した。
※この「松前の戦い」の解説は、「箱館戦争」の解説の一部です。
「松前の戦い」を含む「箱館戦争」の記事については、「箱館戦争」の概要を参照ください。
- 松前の戦いのページへのリンク