渡島丸型全船就航以降の青函航路とは? わかりやすく解説

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渡島丸型全船就航以降の青函航路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)

渡島丸 (2代)」の記事における「渡島丸型全船就航以降の青函航路」の解説

渡島丸車両渡船の前3隻が青函航路増大する貨物輸送需要追いつくための建造なら、後3隻は貨物輸送量の更なる増大予想して建造で、最終石狩丸3代)が1977年昭和52年5月就航し下り片道輸送力は488トンにまで増強された。しかし青函航路貨物輸送量は1971年昭和46年)の往復855トンピークに、1973年昭和48年)の第1次オイルショック以降坂道転がり落ちるように激減し1977年昭和52年)には502トン1960年昭和35年)のレベルまで落ち込んでしまい、その後減少傾向続いたこのため渡島丸型では最古参渡島丸(2代)1978年昭和53年9月30日青森第3岸壁2205分発、函館第3岸壁10月1日2時05分着の275便で運航後、10月2日より函館ドック係船された。まだ船齢9年という新しさであった国鉄では、何度売却試みたものの不調に終わり、ようやく1984年昭和59年8月22日住友商事売却されその後摩周丸(2代)火災事故検証のため、船室燃焼試験が行われ、1985年昭和60年函館どつく解体された。さらに、2番目に古い日高丸2代)も1980年昭和55年9月30日青森第3岸壁10時25分発、函館第3岸壁14時55分着の73便運航後、10月1日より函館ドックに一旦係船された。 一方青函トンネル掘削工事難航し1976年昭和51年5月6日出水事故 もあり、開通予定大幅遅延し1980年昭和55年1月運輸大臣談話では、実際開業時期は1984年昭和59年)度とのことであった。 この状況下で、津軽丸型も1982年昭和57年)には、初期の船は一応の耐用年数18年達することとなった。これは国鉄財産管理上の基準年数で、必ずしも物理的なものではなく実際過去にも20年以上稼働した船は多数あるが、老朽化とともに維持費増大するため、津軽丸型のうち、係船機械やヒーリングポンプ、可変ピッチプロペラ等が他船と異なった 津軽丸(2代)松前丸(2代)引退させ、残る5隻については、1981年昭和56年)から各船順次延命工事施行し継続使用することとした。

※この「渡島丸型全船就航以降の青函航路」の解説は、「渡島丸 (2代)」の解説の一部です。
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