渡島丸型全船就航以降の青函航路
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「渡島丸 (2代)」の記事における「渡島丸型全船就航以降の青函航路」の解説
渡島丸型車両渡船の前3隻が青函航路の増大する貨物輸送需要に追いつくための建造なら、後3隻は貨物輸送量の更なる増大を予想しての建造で、最終の石狩丸(3代)が1977年(昭和52年)5月に就航し、下り片道輸送力は488万トンにまで増強された。しかし青函航路の貨物輸送量は1971年(昭和46年)の往復855万トンをピークに、1973年(昭和48年)の第1次オイルショック以降は坂道を転がり落ちるように激減し、1977年 (昭和52年)には502万トンと1960年 (昭和35年)のレベルまで落ち込んでしまい、その後も減少傾向が続いた。 このため、渡島丸型では最古参の渡島丸(2代)が 1978年 (昭和53年)9月30日青森第3岸壁22時05分発、函館第3岸壁10月1日2時05分着の275便で運航後、10月2日より函館ドックに係船された。まだ船齢9年という新しさであった。国鉄では、何度か売却を試みたものの不調に終わり、ようやく1984年(昭和59年)8月22日住友商事に売却され、その後、摩周丸(2代)火災事故の検証のため、船室の燃焼試験が行われ、1985年(昭和60年)函館どつくで解体された。さらに、2番目に古い日高丸(2代)も1980年 (昭和55年)9月30日青森第3岸壁10時25分発、函館第3岸壁14時55分着の73便運航後、10月1日より函館ドックに一旦係船された。 一方青函トンネル掘削工事も難航し1976年 (昭和51年)5月6日の出水事故 もあり、開通予定は大幅遅延し、1980年 (昭和55年)1月の運輸大臣談話では、実際の開業時期は1984年(昭和59年)度とのことであった。 この状況下で、津軽丸型も1982年 (昭和57年)には、初期の船は一応の耐用年数の18年に達することとなった。これは国鉄の財産管理上の基準年数で、必ずしも物理的なものではなく、実際過去にも20年以上稼働した船は多数あるが、老朽化とともに維持費も増大するため、津軽丸型のうち、係船機械やヒーリングポンプ、可変ピッチプロペラ等が他船と異なった 津軽丸(2代)と松前丸(2代)を引退させ、残る5隻については、1981年 (昭和56年)から各船順次延命工事を施行して継続使用することとした。
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