渡島丸型第4船以降の建造の経緯とは? わかりやすく解説

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渡島丸型第4船以降の建造の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)

渡島丸 (2代)」の記事における「渡島丸型第4船以降の建造の経緯」の解説

洞爺丸事件後建造され車両渡船空知丸(初代)檜山丸(初代)石狩丸(2代)の3隻も、1973年昭和48年)秋の第1次オイルショックの頃には、船齢20年近づきつつあった。一方青函トンネル1971年昭和46年11月本坑掘削着工されており、開通見込みは、その当時1978年昭和53年)度とされていた。トンネル開通後の青函連絡船存廃未定であったが、いずれにせよそれまでは、青函連絡船として客貨輸送全うしなければならず、これら3隻を時期不明確なトンネル開通時まで運航し続けることは非現実的であった。そして当時関係者多くは、1971年昭和46年以降貨物輸送減少一時的なもので、輸送需要回復時には速やかにこれに対応できる体制整えておくべき、と考え渡島丸型全6隻就航暁には函館第2岸壁にも渡島丸型を発着させ、上り3本下り4本の3時45分運航便、函館3回青森10回の50折り返しを含む、1230往復、1隻2往復の計32往復運航実現向けた検討入っていた。 1974年昭和49年5月21日空知丸(初代)檜山丸(初代)石狩丸(2代)の3隻の代替建造運輸大臣申請され、1974年昭和49年7月31日函館ドックへ、1974年昭和49年8月30日三菱重工へ、そして1975年昭和50年8月26日日立造船へ、各代替船の建造発注された。

※この「渡島丸型第4船以降の建造の経緯」の解説は、「渡島丸 (2代)」の解説の一部です。
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