戦前型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 15:36 UTC 版)
1938年に製作されたモハ1251形1次車以降が該当する。モハ2001形の「昭和11年型」やこれに続くモハ1201形の1937年製グループを15m級に縮めたようなスタイルであった。窓配置はd1(1)D6D(1)1d、前面幕板部左右に押し込み型通風器がついて水切は直線状、中央に貫通扉を配した3枚窓構成、側窓は2段上昇式で初期型に比べて上下左右とも寸法が拡大された。また上段よりも下段の方が縦寸法が長くなった。窓が大きくなったため初期型よりも軽快感が増した。窓の日除けがモハ1201形1937年製グループに準じてカーテンではなくベネシアンブラインドとなったのも、このグループの大きな特徴の一つである。このタイプは1940年までに14両製作されたが、戦災で数を減らし、戦後まで原形を保って在籍していたものは8両に留まった。前面幕板部の通風器は雨水の浸入による腐食の原因となったことから、戦後まもなく撤去された。なお1939年以降製作の6両は前面幕板部の通風器が最初から未装備で竣工している。
※この「戦前型」の解説は、「南海1251形電車」の解説の一部です。
「戦前型」を含む「南海1251形電車」の記事については、「南海1251形電車」の概要を参照ください。
戦前型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 09:28 UTC 版)
「PCCカー (南東ペンシルベニア交通局)」の記事における「戦前型」の解説
世界恐慌による影響で破産したフィラデルフィア高速交通を含め、フィラデルフィア都市圏の公共交通事業体を合併する形で1940年設立されたフィラデルフィア交通(PTC)は、1940年から1942年にかけて計240両のPCCカーを導入した。全車とも製造はセントルイス・カー・カンパニーが手掛け、制動装置や乗降扉の開閉などに圧縮空気を用いる"エアー・エレクトリック"(Air-Electric)と呼ばれる構造であった。電気機器はGE製、WH製の2社の部品を用い、以下の通り番号によって区別がなされていた。 全車とも路線縮小や川崎重工業製の9000形への置き換えにより1982年までに廃車され、2019年現在は2054のみスクラントンのエレクトリック・シティ・トロリー博物館(英語版)に現存している。 車両番号導入年主電動機2501-2580 1940年 GE 2031-2080 1941年 WH 2081-2090 1942年 WH 2581-2623 GE 2624-2680 WH
※この「戦前型」の解説は、「PCCカー (南東ペンシルベニア交通局)」の解説の一部です。
「戦前型」を含む「PCCカー (南東ペンシルベニア交通局)」の記事については、「PCCカー (南東ペンシルベニア交通局)」の概要を参照ください。
戦前型(1938年 - 1940年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 01:44 UTC 版)
「ハンバー・スーパー・スナイプ」の記事における「戦前型(1938年 - 1940年)」の解説
1938年10月に登場。既存上級モデルのプルマンに搭載されていたサイドバルブ式直列6気筒4,086 ccエンジンを、1クラス下でホイールベース2,896 mm(114インチ)の3,000 cc級モデル「スナイプ」のシャシーに載せた中間車種として登場した。 プルマンより軽量でハイパワーな車種となり、最高速度は127 km/h、当時としては高速車として扱われた。ボディ形状は4ドアセダン、4ドアスポーツセダン、2ドアドロップヘッドクーペの三種類だった。 性能に対して比較的割安な価格を武器に、アッパーミドル層(企業管理職、専門職、上級公務員など)の公用車といった用途で需要を得て、第二次世界大戦勃発までに約1,500台が販売された。戦時中は軍のスタッフカーや輸送車のシャシーとしても生産された。特に、イギリス軍のバーナード・モントゴメリー元帥の専用車として使用されたものが有名である。
※この「戦前型(1938年 - 1940年)」の解説は、「ハンバー・スーパー・スナイプ」の解説の一部です。
「戦前型(1938年 - 1940年)」を含む「ハンバー・スーパー・スナイプ」の記事については、「ハンバー・スーパー・スナイプ」の概要を参照ください。
- 戦前型のページへのリンク