1939年以降
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「ペナント・ナンバー」の記事における「1939年以降」の解説
1939年に1本煙突のJ級駆逐艦が登場し、また駆逐艦戦隊の数が増えてきたため、このシステムも変更された。1本煙突の艦の場合、識別帯は嚮導駆逐艦では煙突の先端が3フィートの幅で塗られ、駆逐隊司令駆逐艦は同色の2フィート幅の帯が塗られた。戦隊識別の帯の上端は先端から6フィート下とされた。嚮導駆逐艦の帯の色は本国艦隊が白、地中海艦隊が赤だった。駆逐艦戦隊の識別帯は以下のようになった。 第1駆逐艦戦隊(地中海) — 赤1本、G級 第2駆逐艦戦隊(地中海) — 赤2本、H級 第3駆逐艦戦隊(地中海) — 赤3本または無し、I級 第4駆逐艦戦隊(地中海) — 無し、トライバル級 第5駆逐艦戦隊(地中海) — 無し、K級 第6駆逐艦戦隊(本国) — 白1本、トライバル級 第7駆逐艦戦隊(本国) — 白2本、J級 第8駆逐艦戦隊(本国) — 白3本、F級 第9駆逐艦戦隊(本国) — 黒1本・白2本、V級・W級 第10駆逐艦戦隊(本国) — 無し、V級・W級 第11駆逐艦戦隊(ウェスタンアプローチ管区) — 黒1本・赤2本、V級・W級 第12駆逐艦戦隊(ロシス) — 白1本・赤1本、E級 第13駆逐艦戦隊(ジブラルタル) — 白1本・赤2本、V級・W級 第14駆逐艦戦隊(本国) — 赤1本・黒1本、V級・W級 第15駆逐艦戦隊(Rosyth) — 赤1本・黒2本、V級・W級 第16駆逐艦戦隊(ポーツマス) — 赤1本・白1本、V級・W級 第17駆逐艦戦隊(ウェスタンアプローチ管区・1940年以降) — 赤1本・白2本、タウン級 第18駆逐艦戦隊(海峡) — 白1本・黒1本、A級 第19駆逐艦戦隊(ドーバー) — 白1本・黒2本、B級 第20駆逐艦戦隊(ポーツマス) — 白2本・黒1本、C級 第21駆逐艦戦隊(中国方面) — 白2本・赤1本、D級 大戦に突入して間もなく、船に迷彩がほどこされたことと戦闘に因る損失のために、帯による識別は行われなくなり、また、作戦上の必要と新しい艦の建造により、駆逐艦戦隊の艦型の均質性は失われた。艦船は必要なところに利用可能なものが配備されるようになり、しばしば種々の艦種、たとえばスループ、コルベット、フリゲートや護衛空母などと混成の護衛グループが編成された。護衛グループには煙突の帯による識別を行ったものもあったが、多くは「B7グループ」の例のように煙突に文字を描いた。
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1939年以降
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「シカゴ・パイル1号」および「粒子発見の年表」も参照 1938年の終わりに核分裂が発見されたことで、各研究の中心地がヨーロッパからアメリカへ移った。多数の科学者がヨーロッパの争いと反ユダヤ主義そして迫りくる大戦から逃れるためにアメリカへ移住した:407–410(ユダヤ人科学者とマンハッタン計画参照)。核研究の新たな中心地はアメリカの大学、特にニューヨークのコロンビア大学とエンリコ・フェルミが移ったシカゴ大学、そして1942年に設立され、マンハッタン計画の新たな拠点となったニューメキシコ州ロスアラモスにある秘密の研究施設であった。この戦時中の計画は核兵器の作成に焦点を合わせ、中性子をもとにした連鎖反応によるウランまたはプルトニウムの核分裂により放出される膨大なエネルギーを利用した。 1932年の中性子と陽電子の発見は、多くの新たな粒子発見の始まりであった。ミュー粒子が1936年に発見された。パイ中間子とK中間子が1947年に発見され、ラムダ粒子が1950年に発見された。1950年代60年代を通して、ハドロンと呼ばれる多くの粒子が発見された。マレー・ゲルマンとジョージ・ツワイクにより独立に1964年に提案された全ての粒子を体系づける分類表はクォークモデルとして知られるようになる。このモデルでは、陽子や中性子などの粒子は素粒子ではなく、パートンやクォークと呼ばれる他の真の素粒子を少数組み合わせたものにより構成されている。クォークモデルは1960年代後半に実験的検証を受け、最終的に中性子の異常磁気モーメントを説明した。
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