陽電子の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:52 UTC 版)
「カール・デイヴィッド・アンダーソン」の記事における「陽電子の発見」の解説
ロバート・ミリカンの指導のもとで宇宙線の研究を始めた。その過程で、撮影した霧箱の写真に予想外の粒子の痕跡が写っているのを発見し、電子と同じ質量で逆の電荷を持つ粒子が作り出したものだと解釈した。この発見は1932年に発表され、他の研究者によっても確認されたことで、陽電子の存在を予測したポール・ディラックの理論を裏付けるものとなった。アンダーソンはまず宇宙線の中から陽電子を検出したが、その後、自然放射性核種ThC'' (208Tl)から発生するガンマ線を他の物質に照射することで陽電子と電子の対を生成させ、より決定的な証拠を得た。この功績により、アンダーソンはヴィクトール・フランツ・ヘスと共同で1936年にノーベル物理学賞を受賞した。その50年後、アンダーソンは、自分の発見はカリフォルニア工科大学の同級生である趙忠堯の研究に触発されたものであることを認めた。趙の研究は、アンダーソンの研究を発展させる基礎となったが、当時、趙の名前はクレジットされていなかった。
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