1950年代-60年代
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「ジョン・ケージ」の記事における「1950年代-60年代」の解説
1951年、ハーバード大学で無響室を体験する。ケージは無響室に入ったときに体内からの音を聴き、沈黙をつくろうとしてもできないこと、自分が死ぬまで音は鳴り、死後も鳴りつづけるだろうと考えた。この体験は作風に大きな影響を与える。1954年に、ストーニー・ポイントで菌類学の勉強をはじめる。1950年代初頭には中国の易などを用いて、作曲過程に偶然性が関わる「チャンス・オペレーション」を始め、貨幣を投げて音を決めた『易の音楽』(1951年)などを作曲。演奏や聴取の過程に偶然性が関与する不確定性の音楽へと進む。やがて、それまでの西洋音楽の価値観をくつがえす偶然性の音楽を創始し、演奏者が通常の意味での演奏行為を行わない『4分33秒』(1952)などを生み出した。 ケージの作品で最も有名なもののひとつである『4分33秒』は、曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すものである。それはコンサート会場が一種の権力となっている現状に対しての異議申し立てであると同時に、観客自身が発する音、ホールの内外から聞こえる音などに聴衆の意識を向けさせる意図があったが、単なるふざけた振る舞いとみなす者、逆に画期的な音楽と評する者のあいだに論争を巻き起こした。この時期には、芸術運動のフルクサスとも関わりをもっている。 同じころには、任意の42枚のレコードをテープに録音した『心像風景第5番』も現われた。この他、ラジオを楽器に見立てて構成した『ラジオ・ミュージック』(1958年)、声楽の可能性を大幅に拡張し、ルチアーノ・ベリオの『セクエンツァIII』やディーター・シュネーベルの合唱曲『AMN』に影響を与えた『アリア』、独創的な図形楽譜の集合体である『ピアノとオーケストラのためのコンサート』などがある。 1960年代には、プラスチック板を自由に組み合わせて楽譜を作り演奏する不確定性音楽の『カートリッジ・ミュージック』(1960年)、『0分00秒』(1962年)、チェンバロを録音して変調し更に生のチェンバロと合わせる『HPSCHD』(1969年)などを発表し、著書『サイレンス』を出版した。 1962年には来日公演を果たしている。『0分00秒』の初演は東京の草月ホールでケージ自身により行われた。1963年、ニューヨークにてエリック・サティの『ヴェクサシオン』を上演する。世界で初めてサティの指示どおりに840回の反復を行ない、演奏は18時間にわたった。また、サティの『ソクラテス』から派生したピアノ曲『チープ・イミテーション』(1969年)を作曲している。この作品は『ソクラテス』のリズムだけを残し、音高をチャンス・オペレーションに基づいて新たに作曲したものである。
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