1950年代-90年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 02:16 UTC 版)
「ブラジリアン柔術」の記事における「1950年代-90年代」の解説
1950年代以降、グレイシー一族が活動していたブラジル北東部におけるバーリ・トゥードは衰退期に入っていったが柔術は存続し続けた。カーロスは20人以上の子供をもうけたが、多くを人格者、指導者として優れていたエリオに預けていた。一族でも史上最高の柔術家と目されているホーウス・グレイシーもその一人だった。ホーウスはエリオが重視していた防御的なスタイルに限界を感じ、自ら積極的に攻め立てるスタイルを模索して柔術だけではなく柔道、レスリング、サンボといった他の組技系格闘技を修めて柔術に技術革新をもたらした。後にホーウスは事故死してしまうが、彼の指導を受けて成長し、バーリ・トゥードで名を馳せていたレイ・ズールを破ったヒクソン・グレイシーをはじめとする新世代のグレイシー一族や、オズワルド・アウヴェスといった非グレイシー系の黒帯が増えたことで柔術の普及は進んでいった。
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