シナトラ一家へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:05 UTC 版)
「ディーン・マーティン」の記事における「シナトラ一家へ」の解説
1956年にコンビを解消してからは、シナトラ一家、いわゆるラット・パックの主要メンバーとして、フランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr.、ピーター・ローフォード、ジョーイ・ビショップとともに活動した。映画では主に西部劇(多くはセカンドロールで本領発揮する小悪党キャラ)、自身の歌もまじえたロマンチック・コメディーなど娯楽映画を中心に多数出演し、1950年代〜60年代を代表するマネーメーキングスターの地位を築いた。 主な代表作にエドワード・ドミトリク監督の『若き獅子たち』(1958年)、ハワード・ホークス監督の『リオ・ブラボー』(1959年)、ヴィンセント・ミネリ監督の『走り来る人々』(1958年)、『ベルは鳴っている』(1960年)、ビリー・ワイルダー監督の『ねえ!キスしてよ』(1964年)などがある。そして1966年からはドナルド・ハミルトン(Donald Hamilton)原作のスパイ小説を基にした映画『サイレンサー』シリーズの全4作に主演、原作のハードボイルドでシリアスな展開とは違いプレイボーイでユーモア溢れるスパイ=マット・ヘルムを演じ、1960年代スパイ映画ブームに乗り同時期に人気絶頂だった『007』シリーズの亜流作品としても話題となった。 「奥様ごめんなさい」で第17回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。 そして1969年にはアメリカンニューシネマに逆行するグランド・ホテル・スタイルのオールスター・キャスト『大空港』(一般公開は1970年)の副操縦士役など演技派としても知られた。 マーティン語録②;ニューヨークは嫌いだ、あそこはエレベーターしかない、俺はエレベーターを信用しない、ついでにテレビジョンもロケットも嫌いだ、君らは月へ行く奴等を信用できるかい?俺は嫌だね!(ニューヨーク大停電とアポロ宇宙計画を皮肉った独特の表現だが、後に『ローハイド』にゲスト出演したり冠番組を通算20年も持ったのは自分を高く売り込むための駆け引き)
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