娯楽映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:56 UTC 版)
短編映画や劇映画では、政治的プロパガンダの内容がノンフィクションのジャンルに比べて基本的に少ない。映画史家であるゲルト・アルブレヒト(Gerd Albrecht)は、1960年代後半にナチの劇映画に関する初の包括的なデータ収集を行い、全劇映画に占めるプロパガンダ映画の割合を14.1%と推定した。なお、アルブレヒトは例えば国際合作映画を考慮に入れていなかった。これらを考慮に入れると、プロパガンダ映画はわずか12.7%となる。 ナチ時代に制作された劇映画で最大のグループは、喜劇映画である。全作品の47.2%に当たる569作品は、コメディー、人違いの喜劇、ドタバタ、グロテスク、風刺または類似のものとして分類することができる。ジャンルは喜劇であっても、イデオロギーの主張が含まれないとは限らず、たとえば軍隊コメディー(一例として『Soldaten – Kameraden(兵士 – 同志)』1936年)などには見え隠れしている。また、『ロベルトとベルトラム(ドイツ語版)』(1939年)、『法廷のヴィーナス(ドイツ語版)』(1941年)では非常に反セム的なシーンがある。今日もなお人気がある『熱燗ワイン(ドイツ語版)』に代表される喜劇映画の大多数には、ナチのプロパガンダはほとんど見当たらない。 2番目に大きなグループは、特に女性観客向け映画である。ナチ映画の508作品(42.2%)は、恋愛映画、結婚映画または近似の、例えば女性、心理、道徳、医師、運命、少女といったジャンルに区分される。このグループには、プロパガンダと娯楽が極めて巧妙に渾然一体となった作品がある。例えば『Annemarie(アンネマリー)』(1936年)、 『希望音楽会(ドイツ語版)』 (1940年)、 『さようならフランツィスカ!(ドイツ語版)』 (1941年)、 『大いなる愛(ドイツ語版)』 (1942年)である。『希望音楽会』と『大いなる愛』はナチ時代で最も商業的な成功を収めた作品に数えられる。こういったナチのイデオロギーが凝縮した作品に対し、大多数はここでも目立たない映画であった。例えば 『踏み外し(ドイツ語版)』 (1939年)や 『短調のロマンス(ドイツ語版)』 (1943年)などは今日も人気がある。 事実として、ナチ劇映画の大多数を、明白なナチのプロパガンダと証明することはほとんど不可能である。そのため映画史家や映画社会学者は、幾度にも渡ってこれらの娯楽映画に巧妙に隠されたプロパガンダを突き止めようとしてきた。これらの作品の社会的・基本的メッセージといったもの、例えば女性像が特に注目されてきた。しかし、これらの研究から得られた知見は少ない。なぜならナチ映画の人間像において、ナチのイデオロギーによる基準に厳密に一致するものはごく僅かだからである。ほとんどの主人公は「普通の人」であり、手持ちの方法で個人的な小さな幸せの為に戦い、その際にはまったく現代的な価値観を持っている。個別に見れば、ナチが理想とする「自己犠牲に富む、子だくさんの母親」という女性像が描かれることもあった(例えば『母の瞳 (Mutterliebe)』、1939年)が、大多数の映画では子供を持たず、職業についている女性が主人公であった。男性主人公も、兵士や英雄ではなく、一般の民間人が最も重要なグループであった。特に恋人としては幾分不器用でぎこちないが、まったくもって親切で信頼に足る人物が多い。仮に映画の登場人物がナチ的人間像というかたちで理想化されていたとすれば、観客は登場人物に感情移入できず、またメディアとしての映画もその魅力が失われていたであろう。 一見すると非政治的な劇映画が大半であったが、これは驚くべきことではない。劇映画を上映する際は、必ずニュース映画やドキュメンタリー映画(これらはプロパガンダを多分に含んでいた)とセットで上映することが義務付けられていたため、あえて劇映画にまでプロパガンダを仕込む必要はなかったからである。一方で娯楽映画は、戦争末期の絶望的に見える状況においても「ハッピーエンドを迎える美しい世界」という幻想を保っていた。それは日ごとに厳しさを増す戦時下の日常という現実から進んで気を紛らわせ、目をそらすためであった。すなわち、当時の状況においては、これらの映画は自然に「耐久プロパガンダ」の役割を果たしていたともいえる。 音楽映画もまた、観客の気を晴らし、気分をよくするものとされていた。このグループは正確に数値化できない。194作品(16.1%)には明確に音楽ジャンル、例えば音楽映画、オペレッタ、歌手、レヴュー映画に分類される。しかし、作品内で歌や踊り、または新しい流行歌が登場する映画を含めると、その数は非常に多い。『ユダヤ人ズュース』(1940年)、『世界に告ぐ』(1941年)、『コルベルク』(1945年)といった明確なプロパガンダ映画でさえ、耳に残るメロディーが使用されていた。 恋愛映画や結婚映画が映画のジャンルのスケールで女性の極であるとすれば、男性的な極はアクションが前面に押し出されるジャンルにある。ナチ劇映画の333作品(27.6%)は、冒険映画、犯罪映画、戦争映画、スパイ映画、またはセンセーション映画である。このグループのプロパガンダ映画は75作品に上り、割合は非常に高い。主に男性の観客を対象に制作された劇映画という括りで見ると、ほぼ4分の1に達する。最も比重が大きいのは戦争映画とスパイ映画である。犯罪映画は、個別に見るとプロパガンダを目的としたものがあり(例えば『国民の名において (Im Namen des Volkes)』、1939年)、こういった映画では犯罪の原因を犯人の置かれた社会的状況よりもその持って生まれた素質に求めるのが原則であった。しかし、こういった作劇法はナチ映画に特有のものではなく、ファシズム以前、または戦後期の犯罪映画でも同様であった。冒険映画、センセーション映画においてはプロパガンダ映画の割合が最も低い。こういった映画はそもそも現実逃避的なモーメントが基調にあるからである。これらのジャンルの映画で主人公を務めたハンス・アルバース、 ハリー・ピール(ドイツ語版)、ルイス・トレンカー(ドイツ語版)は、ナチ映画で人気の男性スターに数えられている。 娯楽映画で4番目に大きなグループは郷土映画(ドイツ語版)であるが、このジャンルは目新しいものではない。なぜなら1950年代には1,400万人以上もの追放者がいたという現実が、感情的な意義を与えているからである。ナチ劇映画の179作品(14.8%)は山岳または村落を舞台としたものであり、古典的な郷土映画『Der Jäger von Fall (ファルの狩人)』(1936年)、『Der Edelweißkönig (エーデルワイス王)』、『Geierwally(ハゲタカのヴァリー)』(1940年)といった作品が挙げられる。これらの映画の約90%にはあからさまなプロパガンダは含まれていない。 特別なグループに伝記映画と歴史映画があり、ナチ時代に制作された劇映画のうち5.9%を占める。これらの作品の多くは政治的プロパガンダとしての性格を持つ。歴史映画の19作品の多くはプロイセンの宮廷を舞台とし、ナチのイデオロギーによる歴史教育の機会として利用された。また、伝記映画の52作品のうちほぼ半数がプロパガンダの要素を含んでおり、これらの作品のヒーローは、ナチの権力者が「卓越したドイツ人」と判断したドイツ人の、いわば「栄誉殿堂」となっていた。伝記映画や歴史映画は、ナチのプロパガンダ・メディアとして特に利用されてきたが、これは特にナチ映画の発明というわけではなく、このジャンルの長い歴史の一部に過ぎない。すでに第一次世界大戦の前に始まり、戦後の映画史にまでおよぶもので、決してドイツに限定されるものではない。 なお、大部分の作品が同時に複数のジャンルに含まれるため、上記の各グループの割合の合計は100%以上になっていることに注意が必要である。 「ナチスの娯楽映画(ドイツ語版)」も参照
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