レビュー【review】
レビュー【(フランス)・(英)revue】
読み方:れびゅー
歌・踊り・寸劇などを組み合わせた舞台芸能。華麗な装置・衣装や群舞、スピーディーな場面転換などを特色とする娯楽的な要素の強いショー形式のもの。19世紀末から20世紀にかけて各国に流行し、日本では昭和初期に少女歌劇団が演じて発展した。
レビュー【The Review】
レヴュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 04:08 UTC 版)
レヴューあるいはレビュー(英語: review、フランス語: revue)
review
一般名詞
英語で、評論、批評、見直し、検証などのニュアンスを持つ語。カタカナ語としても使われる。
- 文献レビュー→文献研究: 科学的研究の過程として、当該研究テーマに関する先行研究について文献の探索を行うこともレビューと呼ばれる。
- レビュー論文→総説論文:また、そうした先行研究を網羅的にまとめ、その当該テーマについての研究の動向を論じた展望論文をさすこともある。そうした論文を掲載する学術雑誌のタイトルにも使われる。心理学関係の展望論文誌Psychological Reviewなど。
- システマティック・レビュー - ある課題についての科学的根拠を得るため、一定の基準を満たした質の高い研究論文をデータベースで網羅的に収集し、体系的・統計的に分析すること。また、その手法で作成された総説[1]。
- ピアレヴュー→査読
- 「ブックレヴュー」→書評
- 「ムービーレヴュー」→映画評論
- 「デザインレビュー」ISO 9001(JIS Q 9001)において定義づけられる「設定された目標を達成するための検討対象の適切性、妥当性、および有効性を判定するために行われる活動」のこと。なお以前運用されていたJIS Z 8115では「設計審査」という表現を用いて、類似概念が定義されていた。また、規格に準じてはいないが単に設計を他の部門に監査させる事をデザインレビューやレビューと称している組織もある。
- 「ソフトウェア・レビュー」ソフトウェア開発、システム開発で行われるレビュー。IEEE 1028で規定されている。
- 購入者の声、お客様の声 - 通販サイトや通販カタログのお客様の声などをカスタマーレビューなどと称している会社がある。フィードバックとも。
- 商品レビュー - 販売されている商品の感想をブログ、SNSなどで紹介すること。
- 検閲
- 観閲式
固有名詞
- REVIEW-BEST OF GLAY - GLAYのアルバム(1997年)
- REVIEW II -BEST OF GLAY- - GLAYのアルバム(2020年)
revue
- フランス語で上記reviewに相応する単語である。
- 商品名
- カネボウ化粧品が販売する、化粧品ブランド『REVUE』。詳細はカネボウ化粧品の項目参照。
- マツダ・オートザムレビュー - マツダがオートザムブランドで発売していた自動車。
- 作品名
脚注
出典
- ^ デジタル大辞泉. “システマティックレビューとは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年8月4日閲覧。
関連項目
レヴュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 15:15 UTC 版)
これらのトトの最初期の映画は、彼の舞台での人気にもかかわらず、多くの観衆の成功を得られなかった。この時期トトは劇場に復帰したが、それは前座ショーではなく、「レヴュー」のスタイルへと変化していた。この時期レヴューはパリを中心に人気を得ており、イタリアでもまた、ムッソリーニ政権によるファシズムが影を落とし始めていた中、社会風刺のスパイスを少しばかり効かせながら派手な音楽や演出で飾るレヴューのショーはたちまち人気となった。 トトはローマのクァトロ・フォンターネ劇場でレヴューにデビューし、この時期の片腕だったマリオ・カステラーニや、プリマ・ドンナのアンナ・マニャーニと共に、芸術的だけでなく人生の上においても素晴らしい経験を積み重ねていった。レビューの演目は1940年代の優れた脚本家ミケーレ・ガルディエーリによって書かれた『少なくとも君があいつを待ってる時』であった。ガルディエーリとトトは、『it:Che ti sei messo in testa? おまえの頭の中に何を置いた?』のエリオ・ジガンテ、レミジオ・パオーネと並んで、10年間一緒に仕事をした脚本家の一人だった。 第2次世界大戦によって劇場に来る人の足は遠のき、車も公共交通も少なくなり、特にミラノでは空襲から逃れるために出演の合間に近くの防空壕へ避難する有様であった。この時期トトはボッソーリ・フィルムと契約し、ジョルジオ・シモネッリ監督の映画『it:Due cuori fra le belve (二人の野人の心)』(戦後改題し『Totò nella fossa dei leoni ライオンの穴の中のトト』となった)に出演し、本物の猛獣たちと共演した。 レヴュー『おまえの頭の中に何を置いた?』(ナチスドイツによる占領時代には『Che si son messi in testa? 頭の中に何を置きましたか?』と丁寧語に改題させられた)はトトに問題を引き起こした。ローマのヴァッレ劇場での最初の公演の後、劇場の玄関に爆弾の脅迫があり、ついで警察から、ドイツ高官からの電報を受け取っていると、エドゥアルド・デ・フィリッポとペッピーノ・デ・フィリッポの兄弟とともに脅された(トトはそれを実際に読んでいないが、匿名の電話による脅迫を事前に受けていた)。デ・フィリッポ兄弟が北部郊外のジョスエ・ボルシ通りにある雑木林の中のあばら家に隠棲して警戒態勢をとったのに続き、トトも逮捕から逃れるため、前妻ディアナと娘をローマ西部郊外の知人の家に隔離させた。有名人のトトは隠棲先でたびたびファンに顔を知られ、もはや隠れることもできない状態であった。トトはローマ解放の1944年6月4日に市内の両親の家に戻った。またそれまでにもレジスタンス運動を経済的に支援していた。 トトは6月26日にヴァッレ劇場で新たなレヴューの演目『鼻の下の椰子』を演じた。そこではピノキオに扮したムッソリーニと、さらには片腕にギプスをはめ付け髭をむずがるヒトラー(7月20日に実際に暗殺未遂事件が起こる)を演じ、観客を痛快がらせた。 私は首領を嫌い、独裁者を嫌う。戦争の間、私は毎晩危険に晒されていた。なぜなら劇場でヒトラーのパロディを演じていたからである。とはいえ私が捕まることはなかった、私はただ笑わせるだけの役だったからであり、観衆は私のおかげで少なくとも一晩は、唯一私を見ることによって彼らを笑い飛ばせたからである。それは彼ら独裁者への最大の嫌がらせだった、なぜなら観客は独裁者が失敗するのを観て爆笑したからである。--トト 1945年、首都ローマでの幾つかの公演の後、シエナとフィレンツェで、ナポレオンを風刺した喜劇『告訴せよ、立ち上がれ!』を演じた時、一人のパルチザンが近寄ってきてトトの顔を殴った。なぜならその演劇は独裁者だけでなく、パルチザンをも嘲笑していたからである。トトは加害者をすぐに警察に突き出したが、告訴することまではせず、怒りを捨てた。 この時期、アンナ・マニャーニとの仕事の連携は中断された。彼女は当時の恋人だったロベルト・ロッセリーニの監督による『無防備都市 Roma città aperta』で国際的な名声を得ていた。逆にトトは映画や演劇で自分の道を進み、また唯一の78回転盤音楽レコード「美青年マルチェッロ」をA面に、またマリオ・カステラーニ(イタリア語版)とともに「バロックの国」をB面に吹き込んだ。
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