文芸・芸能
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王仁は、『論語』とともに漢文の長詩『千字文』をもたらしたという伝承もある。『千字文』の成立は6世紀であるため、百済からの渡来人によることが王仁の説話に加えられたとされる。渡来人の歌人では、『万葉集』に歌を収録された田辺福麻呂や背奈行文らがいる。中国との外交において重要な交流の要素だった漢詩は日朝外交でも用いられて、新羅使や渤海使などの使節をもてなす際に漢詩の唱和が行われた。使者の回数が多かった渤海は楊成規や裴頲らの詩才のある使者を選び、日本からは在原業平、菅原道真、紀長谷雄らが唱和に参加して競い合う場面もあった。百済からは味摩之(みまし)の入朝により仮面劇の伎楽が伝えられて、外来芸能として発展していった。
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文芸・芸能
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「京都丹波高原国定公園」の記事における「文芸・芸能」の解説
貴船の先、灰谷川沿いの「芹生の里」(右京区京北芹生町)は人形浄瑠璃や歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』(四段目の寺子屋)で菅原道真の遺児が隠れ棲んだ舞台にされた。また、田中澄江の小説で、NHKのドラマにもなった『花ぐるま』(1974年・講談社) の舞台でもある。 浄瑠璃の節回しを旋律にして動きも取り入れた「浄瑠璃くずし丹波音頭(踊り)」が江戸時代に成立し、京北を中心に南丹・中丹へ広まり、現在でも盆踊りとして親しまれているほか、京丹波町の和知や福井県の名田庄では「文七踊り」として継承されている。また、盆踊りの際には伏状台杉大木の幹を輪切りにし芯を刳り貫いて作った和太鼓の大杉太鼓が欠かせない。不整形・不均等で厚み(幅・奥行)がない独特の形状から繰り出される音色は、叩く位置によって音階や残響が異なる不思議な和音を奏でる。
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