文芸・書画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
外交で漢詩を用いる習慣は中世でも続いており、交渉において詩が用いられる場合があり、外交官には詩文の能力が求められた。宗希璟『老松堂日本行録』にも日本人との漢詩の唱和が多数記されている。宗希璟の唱和の相手は僧であり、一般人には詩を贈ってもいる。朝鮮に行った日本使節の唱和は『朝鮮王朝実録』に無涯亮倪が世宗に詩を献上した記録がある。 室町時代以降には、掛軸に漢詩と水墨画を一体化して表現する詩画軸も日朝の交流に用いられた。詩画軸は下部に水墨画、上部に詩句を載せる構図であり、雪舟の「山水図」には朝鮮の官人李蓀と朴衡文の賛がある。 相国寺の画僧の周文が李朝への日本人使節に参加し、朝鮮に最長で4ヶ月の滞在をしたことから、その作風に朝鮮の水墨画が影響を与えた可能性について指摘があるが、室町時代の日本側史料に朝鮮絵画への関心を示す記録がなく、朝鮮側にも当時に制作された絵画の現存数が少ないことから、厳密な考証を欠いた曖昧な説となっている。
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