文芸・芸能の中の金太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:26 UTC 版)
文芸・芸能の題材として金太郎伝説は世に広まったが、まず『古今著聞集』(1254年成立)などの説話や御伽草子、古浄瑠璃によって、頼光四天王のひとりとしての坂田金時が知れ渡り、江戸時代初期にその幼少期が語られるようになった。特に元禄期に広く読まれた通俗史書『前太平記』で語られた金時の出生の非凡さと、山姥が金時を頼光に託す場面は名場面としてジャンルを超えて多くの作品に影響を与えた。 金時の幼少期を語った文芸作品のなかで最古のものが、古浄瑠璃『源氏のゆらひ』(江戸近江太夫作 1659年刊)である。この作品での金時は多田満仲に仕える武士「さかたの源太きんすへ」の嫡男「ちよ若」として登場し、親の仇討ちを果たした後「さかたのみんぶきん時」と改めている。 1670年代に江戸で金平浄瑠璃が流行し、金時の幼少期の物語が今日の金太郎伝説に近い筋立てとなっていく。金太郎伝説には母親として山姥が登場する作品が多く、雷神の子供を孕んで産まれてきたとするものや、金時山の頂上で赤い龍が八重桐に授けた子というものなど出生譚は様々である。金平浄瑠璃最古の金太郎作品『清原のう大将』(1677年刊)では金太郎は金時の幼名である快童丸に通じる「くわいど」と呼ばれ、山姥は鬼女とされている。 金時の幼少期の物語は「山姥物(やまんばもの)」として能、浄瑠璃、常磐津、長唄、富本、清元など、演芸の枠を越えた一大ジャンルを形成した。なお、歌舞伎においては顔見世狂言で前太平記がかけられた際の大切での舞踏劇として演じられる。 幼少期の金時を「金太郎」と呼んだ初出文献は、『改訂日本小説書目年表』によれば1765年(明和2年)刊の『金時稚立 剛士雑』の「坂田金太郎」である。また、1778年刊の『誹風柳多留』には「金太郎わるく育つと鬼になり」という川柳が採られており、18世紀後半には世間一般に「金太郎」の呼称が定着していたと考えられる。
※この「文芸・芸能の中の金太郎」の解説は、「金太郎」の解説の一部です。
「文芸・芸能の中の金太郎」を含む「金太郎」の記事については、「金太郎」の概要を参照ください。
- 文芸・芸能の中の金太郎のページへのリンク