四段目
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『四段目』(よだんめ)は、古典落語の演目の一つ。別名に『蔵丁稚』(くらでっち)[1]。原話は1771年(明和8年)に出版された『千年草』の一遍「忠信蔵」[1]。上方落語の『蔵丁稚』が東京に移植され、江戸落語では『四段目』として演じられる、とされているが、東京でも古くから演じられていた[1]。主な演者には、上方の3代目桂米朝、東京の8代目春風亭柳枝や2代目三遊亭円歌らがいる。
題である「四段目」は『仮名手本忠臣蔵』の四段目のことであり、サゲは判官切腹の段を踏まえたものである。
あらすじ
伊勢屋の丁稚である定吉は大の芝居好きであり、その日も主人の使いの最中にもかかわらず、つい芝居の立ち見をしてしまい遅くなって帰ってくる。主人の咎めに対し、定吉は相手の主人が不在だったや父が怪我をしたなどと嘘をついて誤魔化そうとするが、主人は騙されない。しかし定吉もサボっていたことを認めず、むしろ自分は大の芝居嫌いだと言い始める。そこで主人は、わざと忠臣蔵の間違った筋書き(あるいは役者)を話すと、思わず定吉は「それは間違っている、今自分が見てきたばかりだから間違いない」とボロを出してしまう。激怒した主人は定吉を折檻するため、蔵に閉じ込める。
蔵に入れられた定吉は忠臣蔵・四段目の判官を気取って悪態をつきながら時間を過ごすが、しだいに腹が減り、「許してください」と泣き言を言う。主人もこれで十分反省しただろうと蔵の中へと飯を持っていく。
「御膳(御前)」「蔵の内(由良之助)でかァ」「ハハァ~!」「待ちかねたァ」
サゲの解説
サゲは仮名手本忠臣蔵・四段目の判官切腹の段の、塩谷判官と大星由良之助のやり取りを踏まえたものである。すなわち、いわゆる「遅かりし由良之助」の場面であり、由良之助を待ちかねた判官が腹に刀を突き立てた直後に由良之助が到着するところのセリフ回しである。詳しくは仮名手本忠臣蔵#四段目・来世の忠義を参照のこと。
脚注
出典
- ^ a b c 東大落語会 1969, p. 454, 『四段目』.
参考文献
- 東大落語会 (1969), 落語事典 増補 (改訂版(1994) ed.), 青蛙房, ISBN 4-7905-0576-6
関連項目
四段目
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(道行初音旅〈みちゆきはつねのたび〉)静御前は都に留まっていたが、やはり義経のことが恋しくてたまらず、ついに都を後にして義経のもとへと行くことにした。その義経が吉野にいるらしいとの噂を聞き、まだ木々の芽がほころぶ初春の時分、吉野に向い女ひとりで道を歩む。義経より預かった初音の鼓を打っていると、佐藤忠信が遅れてあらわれた。 忠信が義経より賜った鎧を出して敬うと、静はその上に義経の顔によそえて鼓を置いた。この鎧を賜ったのも、兄継信の忠勤であると忠信は言い、話のついでに兄佐藤継信が屋島の戦いで能登守教経と戦って討死したことを物語り、思わず涙する。ふたたび歩む静と忠信主従は芦原峠を越え、吉野山の麓へと辿りついた。 (蔵王堂の段)静と忠信は吉野山の蔵王堂近くにまで来る。そこで掃除をしている百姓たちにこの山の衆徒頭である河連法眼の館について尋ね、ふたりは法眼のもとへと急ぐ。 いっぽう蔵王堂では、その河連法眼が山科の法橋坊、梅本の鬼佐渡坊、返坂の薬医坊という荒法師たちを集めて評定をしようとしていた。法眼の親類である鎌倉武士の茨左衛門から書状が届き、それによれば兄頼朝に背いた九郎義経が大和にいるとの知らせが鎌倉に聞え、もしこの吉野山にいてそれを匿うようであれば、この山にある寺院をまとめて滅ぼすとのことである。義経に味方すべきかどうか。法眼はまず法橋坊たちの意向を聞いた。法橋坊たちは口を揃え、義経に味方するという。そこに法橋坊に身を寄せる客僧、横川の覚範が遅れて現われる。これも大太刀を佩いた荒法師である。法眼が覚範に聞くと、やはり義経に味方するという。 だが、法眼は義経に弓引くつもりだと皆に答える。一山衆徒の頭として、義経を庇ってこの山を危い目に合わすわけにはいかない。それでも義経を庇おうというのなら、そのときは敵味方だと言い残し、法眼はその場を去った。 実は法橋坊たちは、本心では義経を殺すつもりだった。しかし河連法眼が義経に味方し、その身をかくまっていると聞いていたので、わざと反対のことを答えたのである。それが当てがはずれたと思う法橋坊たちを覚範は笑い、いまの返答で法眼が自分たちを信用していないことがわかった、この上は義経を逃がさぬよう、今夜の内に河連法眼の館を襲撃しようと、法橋坊たちと相談するのだった。 (河連法眼館の段)はたして義経は河連法眼の館に身を寄せていた。蔵王堂の評定から法眼が自邸に戻る。法眼は妻の飛鳥に、変心して義経を討つつもりだと言い、さらに鎌倉からの茨左衛門の書状を飛鳥に読ませる。飛鳥は茨左衛門の妹であった。そんな夫の様子を見て飛鳥はその刀を奪い自害しようとする。法眼は義経を裏切るような人間ではない。自分が鎌倉武士の身内だから、義経のことを内通して知らせたと疑うのかと飛鳥は恨み嘆く。すると法眼は茨の書状をずたずたに引き裂き、これも義経への忠節のためである、書状は引き裂いたすなわち疑いは晴れたから、安堵して自害を留まれというので、飛鳥も恨みを解く。義経も出てきて、法眼の厚意に感謝するのだった。 そこへ佐藤忠信がやってくる。義経は忠信との再会を喜ぶが、静御前の姿が見えない。静はどうしたのかと尋ねる義経に、忠信は不審そうな顔をした。自分は故郷出羽から今戻ったばかりで、静御前の事は知らないという。義経はこれを聞き激怒する。都から逃れるとき、伏見稲荷で忠信に静の身柄を預けたはずである。それをとぼけるとはさては自分を裏切り鎌倉に静を渡したのに違いない。不忠者の人でなしめと駿河次郎と亀井六郎を呼ぶ。駿河と亀井は忠信を捕らえようとし、わけがわからないという様子の忠信は刀を投げ出して、「両人待った」というまさにそのとき、なんとまた忠信が、静御前を伴いこの館に現われたとの知らせ。この場に居た者はみな仰天した。 この場にいた忠信が、今来たという忠信こそ偽者、捕まえて疑いを晴らそうと駆け出そうとするが、駿河と亀井はその身に疑いある以上は動かさぬと行く手を阻む。やがて静御前が初音の鼓を持って義経たちの前に現われた。義経との再会に嬉し涙をこぼす静。義経は静に、同道していた忠信のことについて聞く。静の供をしていたはずの忠信はいつの間にかいなくなっている。そういえば今目の前にいる忠信は、自分の供をしていた忠信とは違うようだと静はいう。だがその忠信が初音の鼓を打つと現われると聞いた義経は、それぞ詮議のよい手立てと、静に鼓を打つことを命じ、自らは奥へと、忠信は駿河と亀井に囲まれながらこれもその場を立ち退く。 ひとり残された静が初音の鼓を打つ。するとまた忠信が現れた。鼓の音を聞いてうっとりする様子である。静は、遅かった忠信殿といいながら、隙を見て刀で切りつけようとする。この忠信は「切らるる覚えかつて無し」と抗うが、鼓をかせに静に責められ、ついにその正体を白状した。 その昔、桓武天皇の御代のこと。天下が旱魃となって雨乞いをするため、大和の国の千年生きながらえているという雌狐と雄狐を狩り出し、その生皮を剥いで作った鼓を打つとたちまち雨が降りだした。その雌狐と雄狐の皮で作った鼓とは初音の鼓、自分はその鼓にされた狐の子だというのである。 この子狐は、皮となっても親たちのことを恋い慕っていたが、初音の鼓が義経に下されたのを知り、伏見稲荷で佐藤忠信に化け静の危機を救い、今日まで鼓を持つ静に付き従っていたのだという。その心根に静は涙し、また義経も出てきてなお親を思う狐の心を憐れむが、本物の忠信にこれ以上迷惑はかけられないと、子狐は泣きながら姿を消してしまう。 義経は子狐を呼び戻そうと静に鼓を打たせたが、不思議なことにいくら打っても音が出なくなった。鼓にいまだ魂がこもり、親子の別れを悲しんでいるらしい。義経は、自分は幼少のころに父義朝とは死別れ、身寄りの無い鞍馬山で成長し、その後兄頼朝に仕えたが、これも憎まれ追われる今の身の上となった。この義経とこの狐、いずれも親兄弟との縁の薄さよと嘆く。静も嘆くとこの声を聞いたか、再び子狐こと源九郎狐が姿を現す。義経は、静を今日まで守った功により、この鼓を与えるぞと手ずから初音の鼓を源九郎狐に与えた。源九郎狐の喜びようはこの上もない。源九郎狐はそのお礼にと、今宵悪法師たちが義経を討ちにこの館を襲うことを知らせ、鼓とともに姿を消すのであった。本物の忠信が駿河亀井とともに出てきて、自らの潔白が明かされたことを喜んでいると法眼が駆けつけ、源九郎狐の言葉通り法師たちがこの館に攻め寄せてくるという。義経は自分に思う仔細ありといって静とともに奥へと入った。 やがて山科の法橋坊たちが館に来るが忠信たちや法眼に、また源九郎狐の幻術もあってみな取り押さえられてしまう。そこへ衣の下に鎧を着込み、薙刀を持った横川の覚範が来て法眼を呼ぶ。そのとき「平家の大将能登守教経待て」と義経が声を掛けた。横川の覚範とは世を忍ぶ仮の姿、実はこれも源平の戦いで入水したといわれた平教経だったのである。義経は覚範こと教経と数度刃を交えると、いきなり逃げ出し奥へと入ってしまう。のがさじと教経は、奥へと踏み込んで一間の障子を開け放つと、そこにいたのは幼い安徳帝。驚く教経に安徳帝はこれまでのいきさつを語り、この上は母である建礼門院に会いたいと泣き伏す。 教経は安徳帝を己が住処に移そうと、抱き上げて立ち去ろうとするところに駿河と亀井、法眼がその前に立ちはだかり、互いににらみ合う。そこへ「ヤア待て汝ら粗忽すな」と烏帽子狩衣の礼装で現われた義経が、この場は安徳帝を見送り、勝負は教経を兄の仇とする佐藤忠信と後日に決すべしと、改めての決戦を互いに約して別れるのであった。
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