千早振るとは? わかりやすく解説

ちはやふる【千早振る】

読み方:ちはやふる

落語百人一首にある歌「千早振る神世(かみよ)も聞かず竜田川(たつたがわ)から紅(くれない)にくくるとは」の意味問われ隠居が、知らないとは言えず、でまかせ解釈語り出す。


ちはや‐ぶる【千早振る】

読み方:ちはやぶる

動詞ちはやぶ」の連体形から》勢い激しい意で、「神」また、地名宇治(うぢ)」にかかる。

「—神世聞かず竜田川から紅にくくるとは」〈古今・秋下〉

「—宇治渡り滝屋(たきつや)の」〈万・三二三六〉

[補説] 「ちはやぶる」「ちはやひと」は、勢い激し強大な「氏(うぢ)」の意から、同音の「宇治」にかかるようになったといわれる


千早振る

作者三遊亭小円朝

収載図書ちくま文学 14 ことばの探偵
出版社筑摩書房
刊行年月1988.12


千早振る

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 13:24 UTC 版)

千早振る」(ちはやぶる / ちはやふる)は、古典落語の演目の一つ。別題は「百人一首」「無学者」で、隠居が短歌にいい加減な解釈を加える話である。原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・『鳥の町』の一篇である「講釈」とされ、山東京伝の『百人一首和歌始衣抄』(1787年)にも類話が載る。初代桂文治の作といわれて、後世に改作などを繰り返し現在の形になったとされる。


注釈

  1. ^ 古今和歌集に撰集されたこの歌の詞書には「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れたるかたを描けりけるを題にて詠める」とあり[1]、二条后藤原高子が「春宮御息所」と呼ばれていた、すなわち惟仁親王が即位して清和天皇となる前に皇太子であった頃の出来事として、屏風に描かれた紅葉の流れる竜田川を題としたとされ、業平本人が竜田川を見たわけではないことになっている。

出典

  1. ^ ちはやふる神世もきかす竜田河唐紅に水くくるとは 詞書
  2. ^ a b 小林祥次郎 (2002年12月24日). "第7回 百人一首のパロディ - 小林祥次郎の発掘日本のことば遊び". 日国フォーラム. ネットアドバンス. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月20日閲覧


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