喜久亭寿暁
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喜久亭 寿暁(きくてい じゅぎょう)は落語の名跡。壽暁、壽曉とも表記する。
初代
(生没年不詳)
初め若松町に住み道具屋万吉、後に深川の佐賀町の家主を勤め、矢野治助と改名した[1]。号を青陽舎という[要出典]。
咄家としては初代喜久亭寿楽の門人で[1]、1808年4月17日には寿楽、初代三笑亭可楽、初代三遊亭圓生の助力で東両国の柏屋で咄の会が催されている。[要出典]
新作の創作力に優れ、文化4年(1807年)正月から文化6年(1809年)ごろにかけての演目を記載した『滑稽集』を記しており、現在でも演じられる演目を含む計650ほどの題名が挙げられている(大半は題名のみだが、一部サゲ(落ちの文句とおぼしい語句が記載されたものがある)[1][2]。
文化14年(1817年)3月には新吉原伏見町に転居している[1]。
2代目
『落語家奇奴部類』には2代目寿暁から5代目石井宗叔を経て楽翁となった人物がいる[要出典]。
脚注
- ^ a b c d 武藤禎夫『定本 落語三百題』岩波書店、2007年6月28日、21-24頁。ISBN 978-4-00-002423-5。
- ^ 延広真治「烏亭焉馬 - ウェイバックマシン(2007年9月22日アーカイブ分)」『落語はいかにして形成されたか』平凡社、1986年からの抜粋(リンク先は「無料読書コーナー (OJWNET)」)
参考文献
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- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会 共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
固有名詞の分類
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