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千早正次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 07:20 UTC 版)

千早 正次郎(ちはや しょうじろう、1856年8月12日(安政3年7月12日[1][2]) - 1938年(昭和13年)10月18日[3])は、明治から昭和時代戦前の政治家大日本帝国海軍軍人衆議院議員

経歴

苗木藩留守居役・千早正理の次男として[2]美濃国恵那郡日比野村(岐阜県恵那郡苗木村、苗木町、中津川町を経て現中津川市)に生まれる[4]1878年(明治11年)海軍主計学校を卒業する[3]。同年、兄の千早正路が割腹自殺する[5]

海軍省に出仕し、1886年(明治19年)供給課長を経て累進し海軍大主計(大尉相当官、後の主計大尉)に進んだ[2]。このころ、同じ海軍主計学舎第一期卒業生の飯村知、加唐為重とともに軍を辞め、生命保険会社設立を企画するも断念(加唐はその後帝国生命保険を設立)[6][7]。ほか、九州田川炭坑会社総支配人を務めた[3]

1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では岐阜県岐阜市から出馬し当選[3]戊申倶楽部に参加。衆議院議員を1期務めた[3]

脚注

  1. ^ 衆議院事務局 1908, 14頁.
  2. ^ a b c 東洋新報社 1917, 1017頁.
  3. ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 311頁.
  4. ^ 衆議院事務局 1940, 287頁.
  5. ^ 『ドキュメント日本人: 無告の民』学林書房、1968、p178
  6. ^ 朝日生命保険(相)『朝日生命八十年史 : 1888-1968』(1968.03)渋沢社史データペース
  7. ^ 帝国生命保険株式会社五十年史帝国生命保険株式会社、1939、p4

参考文献




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