千早正次郎
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千早 正次郎(ちはや しょうじろう、1856年8月12日(安政3年7月12日[1][2]) - 1938年(昭和13年)10月18日[3])は、明治から昭和時代戦前の政治家。大日本帝国海軍軍人。衆議院議員。
経歴
苗木藩留守居役・千早正理の次男として[2]、美濃国恵那郡日比野村(岐阜県恵那郡苗木村、苗木町、中津川町を経て現中津川市)に生まれる[4]。1878年(明治11年)海軍主計学校を卒業する[3]。同年、兄の千早正路が割腹自殺する[5]。
海軍省に出仕し、1886年(明治19年)供給課長を経て累進し海軍大主計(大尉相当官、後の主計大尉)に進んだ[2]。このころ、同じ海軍主計学舎第一期卒業生の飯村知、加唐為重とともに軍を辞め、生命保険会社設立を企画するも断念(加唐はその後帝国生命保険を設立)[6][7]。ほか、九州田川炭坑会社総支配人を務めた[3]。
1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では岐阜県岐阜市から出馬し当選[3]。戊申倶楽部に参加。衆議院議員を1期務めた[3]。
脚注
- ^ 衆議院事務局 1908, 14頁.
- ^ a b c 東洋新報社 1917, 1017頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 311頁.
- ^ 衆議院事務局 1940, 287頁.
- ^ 『ドキュメント日本人: 無告の民』学林書房、1968、p178
- ^ 朝日生命保険(相)『朝日生命八十年史 : 1888-1968』(1968.03)渋沢社史データペース
- ^ 帝国生命保険株式会社五十年史帝国生命保険株式会社、1939、p4
参考文献
- 『第二十五回帝国議会 衆議院議員名簿』衆議院事務局〈衆議院公報号外〉、1908年 。
- 東洋新報社 編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年 。
- 衆議院事務局 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
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