泣きながら
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 08:59 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2019年3月)
|
「泣きながら」(なきながら、原題:Llorando se fue)は、フォルクローレの代表的な曲の一つ。
概要
1981年発表の曲である。ボリビアのフォルクローレのグループ、ロス・カルカスのメンバーだったウリーセス・エルモーサ(Ulises Hermosa)の作詞・作曲による。原題の意味は「泣きながら、あなたは去った」である。歌詞の内容は、失恋した人の独白である。元々の歌詞はスペイン語である。ロス・カルカスの初期の代表曲であったが、後に別グループによって、世界的認知度が高まる。
フランスのグループでブラジル人を中心とする楽団のカオマ(Kaoma)が、著作権者の許可もなく、アップテンポ調の編曲でポルトガル語の歌詞をつけたものが、"Chorando se foi"(泣きながら、あなたは去った)という題名でヒットし、ランバダの曲として世界的に知名度を高めた。著作権侵害問題では、ロス・カルカス側が提訴し、カオマ側が著作権料を支払うということで決着している。
石井明美のカバー
「ランバダ」 | ||||
---|---|---|---|---|
石井明美 の シングル | ||||
初出アルバム『熱帯夜』 | ||||
B面 | Don't | |||
リリース | ||||
ジャンル | J-POP、フォルクローレ、ラテン | |||
レーベル | CBS・ソニー | |||
チャート最高順位 | ||||
|
||||
石井明美 シングル 年表 | ||||
|
||||
日本では、麻木かおるの訳詞によって「ランバダ」と題して石井明美がカバーした。1990年3月23日・5月4日・8月10日にテレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』にて歌唱した。最高位は16位ながら14万枚を売り上げるヒットを記録した。
収録曲
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 「ランバダ」 | Chico de Oliveira[1](訳詞:麻木かおる) | Chico de Oliveira[1] | 森村献 | |
2. | 「Don't」 | 荒木とよひさ | 都志見隆 | 川口真 | |
合計時間:
|
収録アルバム
- ランバダ
- 『熱帯夜』
- 『ザ・ベスト〜CHA-CHA-CHA〜ランバダ』
- 『シングル・コレクション』
- 『GOLDEN J-POP/THE BEST 石井明美』
- 『ゴールデン☆ベスト 石井明美』
- 『石井明美&森川由加里 ゴールデン☆ベスト』
- 『Don't』
- 『熱帯夜』
その他のカバー
- ロス・カルカス
- カオマ
- ジェニファー・ロペス
- 加藤登紀子(訳詞:加藤登紀子)
- 内海みゆき(訳詞:湯川れい子)
- やや(訳詞:湯川れい子)
- 日原麻貴(訳詞:湯川れい子)
- ドン・オマール
- 宗次郎(1994年 アルバム『鳥の歌』収録)
脚注
外部リンク
「泣きながら」の例文・使い方・用例・文例
- その小さな女の子は泣きながら眠ってしまった
- 彼女は泣きながら坂を下っていった
- その子は泣きながら寝入ってしまった
- 彼は泣きながら謝った。
- 私は泣きながらその手紙を読んだ。
- 私はそれを泣きながら見ました。
- 彼は泣きながら私を抱きしめた。
- 彼は泣きながら暴れる。
- 彼は泣きながらバスに乗りました。
- 私は泣きながら書いている。
- 私は泣きながら家に帰りました。
- その日、泣きながら家に帰った。
- 彼女は泣きながら、彼からの手紙をむちゃくちゃに引き裂いて捨てた。
- 彼女は急に泣きながら立ち去っていった。
- 大声で泣きながら、女の子は母親を探していた。
- 赤ちゃんは泣きながら眠ってしまった。
- 少女は泣きながら立っていた。
- 私の妹は赤ん坊の頃、よく泣きながら寝入ったものでした。
- 家に帰ると、母は泣きながらドアのそばに立っていた。
- 一人になると、赤ん坊は泣きながら寝入った。
- 泣きながらのページへのリンク