伝記映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/12 04:26 UTC 版)
伝記映画(でんきえいが)は映画のジャンルのひとつで、歴史上の偉人など、実在の人物の生涯もしくは半生を描いた映画を指す[1][2]。ほとんどの作品はドキュメンタリー映画のように完全な伝記や史実に基づくものではなく、制作者が多少の創作や脚色をくわえることが一般的である[2]。
伝記映画は、映画の草創期であるサイレント映画の時代からおおく製作されていたが、トーキーが映画の主流となっていった1930年代に、アルフレッド・ワーカーの『ロスチャイルド』(1934年)、ロバート・Z・レナードの『巨星ジーグフェルド』(1936年)、ウィリアム・ディターレの『科学者の道』(1936年)や『ゾラの生涯』(1937年)が、アメリカ合衆国の映画賞であるアカデミー作品賞で受賞ないしノミネートを果たすといった評価を得て、この時期にジャンルとして確立した[2][3]。それ以降に製作された伝記映画にはデヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』(1962年)や、ケン・ラッセルの『恋人たちの曲 悲愴』(1970年)などがある[3]。近年では、イギリスのロックバンド、クイーンを題材とした『ボヘミアン・ラプソティ』(2018年)が世界中で大ヒットした[4]。そのため、洋楽に関する伝記映画が特に注目されており、ビートルズ、エルヴィス・プレスリー、ホイットニー・ヒューストンなどが取り上げられ、ザ・ビートルズ: Get Back(2021年)、エルヴィス(2022年) 、ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY(同年)といった作品が制作された [5][6]。
脚注
- ^ 映画の事典 1978, pp. 43–44.
- ^ a b c 現代映画用語事典 2012, p. 97.
- ^ a b フィルム・スタディーズ事典 2004, pp. 242–243.
- ^ “映画『ボヘミアン・ラプソディ』興行収入100億円突破!”. Universal music Japan. 2022年10月30日閲覧。
- ^ “ホイットニー・ヒューストンの物語 『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家により映画化(オリコン)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2022年10月30日閲覧。
- ^ “エルヴィス・プレスリー、The Beatles、Sparks……伝記映画はなぜブームに? 閉塞した現代社会を生きるヒント(リアルサウンド)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2022年10月30日閲覧。
参考文献
- 畑暉男「伝記映画」 『映画の事典』山田和夫監修、合同出版、1978年。 NCID BN05228271。
- スティーヴ・ブランドフォード、バリー・キース・グラント、ジム・ヒリアー 著、杉野健太郎、中村裕英 訳「伝記映画」 『フィルム・スタディーズ事典 - 映画・映像用語のすべて』フィルムアート社、2004年。ISBN 4-8459-0464-0。
- 山下彗、井上健一、松﨑健夫「伝記映画」 『現代映画用語事典』キネマ旬報社、2012年。ISBN 978-4-87376-367-5。
関連項目
伝記映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 09:39 UTC 版)
詳細は「ビヨンド the シー 夢見るように歌えば」を参照 1986年、バリー・レヴィンソン監督はダーリンの生涯をもとにした映画を撮影することを意図し、1997年までにはプリプロダクションを始めた。しかし彼はプロジェクトを諦め、ケヴィン・スペイシーとダーリンの息子ドッドに権利が売却された。結果として、スペイシーがダーリン役として主演し、ダーリンになりきって彼の楽曲を歌った。映画ではダーリンの生涯のほとんどが描かれ、サンドラ・ディー役はケイト・ボスワースが演じた。 ダーリンの財団とかつてのマネージャー、スティーブ・ブラウナーのの同意を得て、2004年のトロント国際映画祭で封切りされた。ドッド・ダーリン、サンドラ・ディー、スティーブ・ブラウナーはスペイシーの作品に熱狂的に応え、制作会社は積極的に宣伝したが、映画の評価は悪く、興行収入は低調だった。しかしながら、スペイシーはゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門主演男優賞にノミネートされた。
※この「伝記映画」の解説は、「ボビー・ダーリン」の解説の一部です。
「伝記映画」を含む「ボビー・ダーリン」の記事については、「ボビー・ダーリン」の概要を参照ください。
「伝記映画」の例文・使い方・用例・文例
- その俳優はジョージ・ガーシュインの伝記映画で主演した。
- 伝記映画のページへのリンク