伝記的情報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:16 UTC 版)
「テュロスのポルピュリオス」の記事における「伝記的情報」の解説
ポルピュリオスの両親はフェニキア人で、彼はテュロスで産まれて「マルクス(王)」と名付けられた。彼はアテナイでカッシオス・ロンギノスに師事し、彼にポルピュリオス(紫色の服を着ている)という名前を与えられた。紫色の服とは皇帝のローブを暗に言う物であった。ロンギヌスのもとで彼は文法と修辞を学んだ。262年にはローマへ行き、プロティノスの名声に魅せられ、6年間ネオプラトニズムを学ぶのに専心した。その間彼は自らの食事を厳しく制限した。このため彼は気が滅入ってきて自殺を考えるようになった。そこでプロティノスの助言に従ってシチリアへ行き、5年間かけて体調を回復した。その後ローマにもどり、哲学の講義を行うとともにプロティノスの著作の編纂を完了した(その頃プロティノスは既に世を去っていた)。またプロティノスの伝記を書いた。 カルキスのイアンブリコスは古代のネオプラトニズムの著作でポルピュリオスの弟子として言及されているが、おそらくポルピュリオスの次の世代の主要な人物であることを意味しているにすぎないだろう。ポルピュリオスとイアンブリコスはテウルギー(呪術)の問題で公然と意見を異にしていた。ポルピュリオスは後年、7歳の子供を抱えた寡婦で熱狂的な哲学徒のマルセラと結婚した。それ以上のことはほとんど知られておらず、彼が死んだ日もわかっていない。
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