伝記的証拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「伝記的証拠」の解説
1595年頃にベーコンが代書人を雇ったことが知られているが、この代書人がベーコンの正体を隠して国王一座と交渉した人物である可能性がある(国王一座の同僚でファースト・フォリオの編集人であるヘミングスとコンデルは、その序文で「私たちが受け取った原稿にはほとんど書き損じがなかった」と書いているが、上述の通りシェイクスピアはまともに読み書きができたのかさえ疑われている程であるため、プロの代書人の存在が仮定されている)。ベーコン派の強調するところによれば、ベーコンが司法長官に就任した1613年は、シェイクスピアが作品の発表を止めた時期と一致している。また、ベーコンは多くの候補者の中で唯一ファースト・フォリオ刊行時(1623年)にも存命だった人物であり、これもベーコンが政治的に失脚して暇な時間が増えたため、後代のために自分の著書を次々と公刊していた時期(1621年 - 1626年)と一致するのである。 『ヘンリー八世』は1613年の作品であるが、ベーコンの失脚(1621年)への言及が含まれており、シェイクスピアが1616年に死んでから5年以上後に改訂された可能性があるという解釈がなされている。この議論は登場人物の枢機卿ウルジーが国璽尚書から罷免されるという劇中の事件に基づいており、これがベーコン自身の罷免という歴史的事実を反映していると解釈したものである。ベーコンは収賄容疑で失職したのに対し、ウルジー枢機卿が罪に問われたのは国王ヘンリー八世と王妃キャサリンの離婚を認可するのを先延ばしにしてほしいと教皇に請願したための失寵が直接の原因であった。しかし、ウルジーが国璽を剥奪される直前の第3幕第2場で、ヘンリー八世は偶然手にしたウルジーの財産目録に関心を寄せている。 King Henry. The several parcels of his Plate, his Treasure,Rich stuffs, and ornaments of household, whichI find at such a proud rate, that it outspeaksPossession of a subject.ヘンリー国王 食器が数組に、宝石類。上質な織物に、家具調度。いずれを見ても一臣下の個人所有とは信じられぬほどの高級品ばかりではないか。 — 『ヘンリー八世』第3幕第2場 数行後のト書き(「ノーフォーク公、サフォーク公、サリー伯、宮内大臣、再びウルジー枢機卿の元へ登場」)において登場した4人の人物によってウルジーは国璽を剥奪される。しかし、史実においてこの1件に関わったのはノーフォーク公とサフォーク公の2人だけであるにもかかわらず、なぜかシェイクスピアはサリー伯と宮内大臣を同時に登場させている。ベーコンの場合には、国王ジェームズ1世がこの任を引き受けるよう依頼したのは大蔵卿、王室執事長、宮内大臣、アランデル伯トマス・ヘイワード (Thomas Howard) である。アランデル伯はサリー伯でもあったので、シェイクスピアが付け加えた2人の貴族はベーコンを落魄の身に追いやった4人の内の2人と一致するのである。
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