国王一座
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国王一座(こくおういちざ、The King's Men)は、ウィリアム・シェイクスピアが座付き劇作家として長らく在籍していたことで知られるイギリスの劇団である。女王エリザベス1世の治世(1558年 - 1603年)においては「宮内大臣一座」の名で活動していたが、1603年に新国王ジェームズ1世が即位して劇団のパトロンとなったのをきっかけに国王一座と改称した。
- ^ a b 当時の演劇界は年功序列の厳しい世界だったことから、勅許におけるフレッチャー、シェイクスピア、バーベッジという順序には劇団内の力関係なども反映されていると考えるべきであり、筆頭にあげられているフレッチャーは相当重要な人物だったと推測される。したがってフレッチャーの名がファースト・フォリオ冒頭の「主要な俳優」一覧に見られないのは非常に奇妙なことである。そもそも現存するさまざまな戯曲の上演記録にもフレッチャーの名が記録されたものは少なく、役者としての活動歴も定かではない。これはフレッチャーがもともと王太子時代のジェームズ1世から贔屓にされていたことから、宮内大臣一座が新国王の庇護を受け国王一座へ改称するさいに、以前から国王の気に入られている人物を入れておいた方が手続きがスムーズに進むのではないかという政治的判断から、名前だけ借りてこられたためのではないかと推測されている。
- ^ この仕事量の増加は国王一座だけに見られた現象ではない。ジェームズ朝時代には、ロンドンの劇団すべてが宮廷公演に召喚される機会を増やしている。
- ^ 桝席と桟敷席の配置次第では1000人以上は入れたのではないかと推測されることもあるが、20メートル×14メートルの大きさに1000人という数字には信憑性がなく、ブラックフライヤーズ座は「600人以上収容することはできなかった」とするアンドルー・ガーの主張が有力である。Gurr, "Shakespearean Stage" , p. 117.
- ^ Gurr, "Shakespearean Stage" , p. 12.
- ^ Chambers, Vol. 2, p. 216.
- ^ この祝宴で国王一座が上演した作品は以下の通り。シェイクスピアの作品は『空騒ぎ』(2回公演)、『オセロー』、『テンペスト』、『冬物語』、『ジュリアス・シーザー』、『ヘンリー四世 第1部』、『ヘンリー四世 第2部』。ジョンソン作『錬金術師』。ボーモント&フレッチャー作『乙女の悲劇』、 "The Captain" 、 "A King and No King" 、 "Philaster" (2回公演)。シリル・ターナー作 "The Nobleman" (現存せず)。著者不明の作品『カルデーニオ』、『エドモントンの陽気な悪魔』、 "The Twins' Tragedy" 、 "The Knot of Fools" 、 "A Bad Beginning Makes a Good Ending" 。都合18作、20回公演である。各作品の上演された日付は記録に残っていない。Chambers, Vol. 2, p. 217.
- ^ Halliday, pp. 91-2; Chambers, Vol. 3, pp. 226-9.
- ^ Gurr, "Shakespearean Stage" , p. 61.
- ^ Ann Jennalie Cook, "The Privileged Playgoers of Shakespeare's London" , pp. 120-1.
- ^ Halliday, p. 86 , 144.
- ^ 作者ミドルトンも起訴のうえ投獄され、グローブ座まで閉鎖された。ミドルトンは検閲を通った作品であることを証明して釈放されたが罰金を科され、これ以後戯曲の執筆に手を染めることはなかった。
- ^ 女優という職業の存在しないこの時代、作中の女性の役は声変わりする前の華奢な少年が女装して演じていたが、ハニーマンのように成長してから大人の男性役に転向して成功した役者は少数にとどまり、多くの少年俳優について成長後の消息は不明である。
- ^ Gurr, "Shakespearean Stage" , pp. 70-1.
- ^ Chambers, Vol. 3, pp. 253-4.
- ^ シェイクスピア(1616年没)はいうまでもなく、イギリス・ルネサンス演劇を代表する優れた劇作家たちのほとんど——ジョン・フレッチャー(1625年没)、トマス・ミドルトン(1627年没)、トマス・デッカー(1632年没)、ジョージ・チャップマン(1634年没)、ジョン・ウェブスター(1634年?没)、ベン・ジョンソン(1637年没)、——は、1620年代から1630年代にかけて世を去っていた。まだ存命であったフィリップ・マシンジャー(1640年没)やトマス・ヘイウッド(1641年没)も1630年代後半にはほとんど作品を書いていない。
- ^ Aaron, p. 159.
- ^ 1649年1月1日、ロンドン当局はソールズベリ・コート座やコックピット座、フォーチュン座を急襲して俳優たちを逮捕し、3月にはこれらの劇場が上演活動そのものの使用に耐えなくなるよう内装をことごとく破壊した。
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