終焉:1642年以降とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 終焉:1642年以降の意味・解説 

終焉:1642年以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 00:26 UTC 版)

国王一座」の記事における「終焉:1642年以降」の解説

1642年9月2日清教徒革命とこれに誘発されイングランド内戦勃発してまもないころ、ロンドン市内の統治権掌握した議会内の清教徒は、すべての劇場に対して閉鎖命令出した。これによって、ひそかに活動をつづける者は少数ながら残っていたが、事実上ロンドン市内での公的な上演活動禁止された(詳細イギリス・ルネサンス演劇参照)。1646年3月24日に、まだ残存していた国王一座過去劇場閉鎖命令以来3年半分未払い金支払うよう政府要求しているが、この間どのような活動をしていたのかは明らかでない1647年ごろには当局許可を得ない違法の上活動一般的になっていたが、これに関して詳細不明の点が多い。1647年にはボーモント&フレッチャーの二折判著作集刊行され10人の俳優国王一座名義献辞署名している。ロバート・ベンフィールド、テオフィルス・バード、ヒュー・クラーク、スティーヴン・ハマートン、ジョン・ローウィン、トマス・ポラード、リチャード・ロビンソン、ジョーゼフ・テイラー、エリアード・スワンストン、ウィリアム・アレンがその10人であるが、このうち最初の7人いずれも1642年以前からのメンバー)は、1648年1月28日付の契約書にも株主として署名しており、国王一座がこの時点復活していたか、少なくとも復活する予定であったことが分かる。しかし同年7月には、支払いができなかったために国王一座復興失敗終わっている。 1648年から1649年にかけての冬、国王一座ベテランよりは若い俳優中心にして、再度劇団建て直そうとの試みなされた。この動き参加した16人の中には1642年以前から少年俳優として国王一座参加していたウォルター・クランやチャールズ・ハートらがいる。この2人新しメンバー8人が加わって出資者となる室内装飾業者ウォルター・コンウェイとのあいだで1648年12月27日契約書作成された。しかし1649年初頭ロンドン当局徹底的な弾圧遭い、ここに国王一座再建の夢は完全に絶たれた。 1660年王政復古にともない劇場活動正式に再開したが、禁止以前からの俳優劇作家はほとんど残っておらず、イギリス・ルネサンス演劇技術伝統大部分失われた女性の役も女性演じるようになり、それまで演劇特色一つであった少年俳優という職業消えた(「最後少年俳優」エドワード・キナストン (Edward Kynaston) と「最初女優」マーガレット・ヒューズ (Margaret Hughes) の活動時期はいずれこのころである)。また、かつて一般的であった公設屋外劇場なくなって上流階級向けの高価な屋内劇場取って代わることとなった国王一座 ("King's Company") という劇団新たに設立されたが、王室パトロンであるということ以外に(旧)国王一座とはなんら関係のないものである(チャールズ・ハートのように、旧国王一座から移籍した俳優若干ながら残っていたが)。新し国王一座はじめとするこの時代劇団担った王政復古期演劇は、まったく新し基盤をもつものであったエリザベス朝演劇ジェームズ演劇作品王政復古期にあって主要なレパートリーであったが、多く作品とりわけ悲劇作品)はルイ14世時代フランス演劇影響受けた新し時代的風潮適合したのだったのであるその代わり多く場面大勢登場人物ごった煮様式といったエリザベス朝時代特色王政復古期喜劇中に残存することとなった

※この「終焉:1642年以降」の解説は、「国王一座」の解説の一部です。
「終焉:1642年以降」を含む「国王一座」の記事については、「国王一座」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「終焉:1642年以降」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「終焉:1642年以降」の関連用語

終焉:1642年以降のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



終焉:1642年以降のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国王一座 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS