終焉と負の遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 18:04 UTC 版)
しかし19世紀後半にもなるとこうした生物移入がほとんどの場合成功しないことが経験的に理解され、さらには稀に成功した場合であっても、移入された生物種の持つ負の側面の及ぼす影響が大きいことが明らかになったため悪評すら得るようになる。多くの順化協会は19世紀中に解散したが、最初に設立されたフランスのそれは目的を自然改変から自然保護に変更したうえで2008年現在まで存続している。 こうして順化という生物移入により環境を改変する考え方は19世紀末にはほぼ否定されたが、スターリンの主導によりソ連にて1920-30年代に実行された自然改造計画まで生き延び、最後にして最大の失敗を繰り返すことになる。また園芸やスポーツフィッシング、淡水魚の養殖といった分野においては、今日に至っても、外来種を移入して環境を改変することで人間にとってのみ都合のいい自然環境を再構成しようとする独善的な動きが見られる。 宗主国、旧植民地の別なく、順化協会が移入に成功した数少ない動植物種のほとんどが、今日侵略的外来種として現地の固有種の存在を脅かしている。またハワイやタヒチ、オーストラリア、ニュージーランドにおいては、こうした順化協会の活動により数多くの固有種が絶滅に追いやられた。
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