終焉と未成線化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 03:55 UTC 版)
このようにして20年近く先まで見通した、かなり本気の計画ではあったが、この翌年の1941年に日本はアメリカ合衆国に宣戦布告して太平洋戦争を開始。長く続いていた日中戦争もそれに吸収される形になった。満州は戦場とならなかったものの、満州国自体は参戦、地下鉄建設どころの騒ぎではなくなってしまった。 それどころか、1945年8月9日にソ連対日参戦によってソビエト連邦が満州国内に侵攻、満州国政府は康徳帝溥儀もろとも朝鮮方面へ逃亡し、日本から終戦が伝わったのをきっかけとして8月18日に皇帝退位の形で朝満国境の露と消えた。 これにより満州国がある前提で計画されていた当計画は、この時点で実現の道が絶たれた。かくして奉天市地下鉄道計画は、「満州国」という国や「康徳」の元号とともに歴史のかなたへ消え去り、未成線としてのみ名を残すことになったのである。 なお奉天市改め瀋陽市では、この計画から70年後の2010年に「瀋陽地下鉄」が開業し、現在、1号線、2号線、9号線と10号線の4路線が営業している。ちなみにこの1号線は当計画の一号線、2号線は三号線と経路が類似している。
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