終焉 1939年以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:36 UTC 版)
「エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道」の記事における「終焉 1939年以降」の解説
1940年4月に地下鉄の列車がイースト・フィンチリーからハイ・バーネットまでの区間で運転を開始し、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道の蒸気機関車けん引の列車は1941年3月に廃止された。地下鉄の列車は1941年5月にフィンチリー・セントラルからミル・ヒル・イーストまでの運転を開始したが、ミル・ヒル・イーストから先、エッジウェアまでの区間が電化されることはなかった。1942年、フィンズベリー・パーク – ハイゲート - アレクサンドラ・パレスの区間の運転はラッシュ時のみとなり、ロンドン中心部への乗り入れも中止された。 戦後導入されたメトロポリタン・グリーン・ベルト(英語版)計画により、沿線の住宅開発が禁止されたことから、ブシーまでの路線延伸は不要となった。延伸計画は1950年に正式に中止され、1953年にはミル・ヒル・イーストとエッジウェアの間、フィンズベリー・パークとアレクサンドラ・パレスの間の近代化計画と電化計画も中止された。 1954年7月3日、フィンズベリー・パーク - ハイゲート - アレクサンドラ・パレスの区間の定期旅客列車が廃止された。1957年にはクランレー・ガーデンズとミューゼル・ヒルの貨物営業も廃止されたことにより、ハイゲートからアレクサンドラ・パレスの路線が廃線となった。 フィンズベリー・パークからエッジウェアまでの路線では、蒸気機関車からディーゼル機関車の時代となっても、主に石炭、牛乳、建材を運ぶための貨物列車が運転されていたが、1956年大気汚染防止法(英語版)の施行により暖房用としての石炭の需要が激減した。同じころ、道路の整備により小口貨物を鉄道で輸送する需要も減少していたことから、1964年にミル・ヒル・イーストからエッジウェアの間の貨物営業が廃止され、線路も撤去された。 ロンドン地下鉄はハイゲート・ウッド車両基地からフィンズベリー・パーク経由でドライトン車両基地にノーザン・シティ線の車両を入出庫させるためにハイゲート – フィンズベリー・パーク間の地上線を利用した回送列車を主に火曜日に運転していたが、1970年9月に廃止している。1971年にこの区間の線路は撤去され、ノーザン・シティ線の車両の入出庫はニーズデン(英語版)からキングス・クロス(ヨーク・ロード)、ロンドン中心部の複々線区間(英語版)を経由するルートに変更された。線路撤去後、フィンズベリー・パークからハイゲート南側のトンネルの南側入口までの区間はパークランド・ウォーク(英語版)として知られる直線状の都市公園となっている。ミル・ヒル・イーストからエッジウェアまでの区間はコプタル鉄道遊歩道(英語版)、ミル・ヒル廃線跡自然保護地域(英語版)と呼ばれる地域自然保護地域(英語版)となっている。
※この「終焉 1939年以降」の解説は、「エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道」の解説の一部です。
「終焉 1939年以降」を含む「エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道」の記事については、「エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道」の概要を参照ください。
- 終焉 1939年以降のページへのリンク