初期の学術活動
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「アレクサンドリア図書館」の記事における「初期の学術活動」の解説
アレクサンドリア図書館は特定の哲学学校と関係しておらず、そこで学ぶ学者たちには相当な学術的自由があった。彼らはしかし、王の権威には臣従していた。プトレマイオス2世が姉妹のアルシノエ2世と結婚したことをからかう下品な風刺を書いたソタデス(英語版)という名前の詩人について伝わる、おそらくは疑わしい物語がある 。プトレマイオス2世はソタデスを投獄し、彼が逃亡した後には彼を鉛の瓶に閉じ込め、海に捨てたと言う。宗教的中心としてのムセイオンはエピスタテス(epistates)として知られるミューズの神官によって差配された。この神官は各地のエジプトの神殿(英語版)を経営していた神官と同じように王によって任命されていた。アレクサンドリア図書館それ自体は図書館長を務める学者によって差配され、その人物は同様に王子の家庭教師も務めた。 記録に残る初代の図書館長はエフェソスのゼノドトス(英語版)(前325年頃生-前270年頃死)である。ゼノドトスの主たる研究はホメロスの叙事詩と初期のギリシア抒情詩の校訂に捧げられた。彼について知られていることの大部分は、特定の文節について彼が推奨する読み方に言及する後世の注釈から得られるものである。ゼノドトスはアルファベット順に整理された奇語と非常用的な単語の語彙集を作成し、整理法としてアルファベット順を採用した最初の人物として知られている。アレクサンドリア図書館の蔵書は非常に早い時期から著者の頭文字のアルファベット順に整理されていたとみられることから、カッソンはゼノドトスがこの整理法を作った人物である可能性が極めて高いと結論付けている。ゼノドトスのアルファベット順整理法はしかし、単語の最初の頭文字のみを使用していた。そして単語の2文字目以降も同様の手法を用いてアルファベット順に整理する方法を適用した人物は紀元後2世紀まで登場しない。 その間、ゼノドトスと詩人カリマコスは『ピナケス(英語版)』を編纂した。これは様々な著者の既知の作品を記載した120巻からなるという図書目録であった。『ピナケス』は現存しておらず、アテナイオス等による断片が伝わるに過ぎないが、それによって基本構造を再構築することが可能である。『ピナケス』は著者が特定のジャンルごとに複数の章(sections)に分類されていた。最も基本的な区分は詩と散文の著者の分類であり、各章はより小さな小節(subsections)に分類された。各章で著者がアルファベット順に記載されている。それぞれのエントリーには著者の名前、父親の名前、誕生地、その他の簡単な伝記的情報、しばしばその著者が一般に知られている綽名、それに続いて、その著者のものと知られている全ての著作の完全な一覧が記載されていた。多作な作家、例えばアイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレス、そしてテオフラストスのような人々のためのエントリーは極端に長く、テキストの複数の列にまたがっていた。カリマコスはアレクサンドリアの図書館で彼の最も有名な作品を成したが、彼が図書館長になったことはない。カリマコスの弟子には伝記作家スミュルナのヘルミッポス(英語版)、地理研究者キュレネのフィロステファノス(英語版)、そしてアッティカの古典作品を研究したイストロス(英語版)(おそらく彼はキュレネから来た)などがいる。この大図書館に加えて、数多くの小規模図書館もまたアレクサンドリアのあちこちに設立され始めた。 ゼノドトスが死去、または引退した後、プトレマイオス2世はカリマコスの生え抜きの学生であったロドスのアポロニオス(前295年頃生-前215年頃死)を2代目のアレクサンドリア図書館長に任命した。プトレマイオス2世はまた、ロドスのアポロニオスを自身の息子プトレマイオス3世の家庭教師に任じた。ロドスのアポロニオスはイアソンとアルゴ号の航海についての叙事詩『アルゴナウティカ』の著者として最もよく知られている。この作品は現代まで完全な形で残されている。『アルゴナウティカ』は歴史・文学に対するにアポロニオスの博識ぶりを示し、ホメロスの叙事詩の文体を模倣しつつ膨大な数の出来事とテキストに言及している。彼の学術的著作のいくつかの断片もまた残されているが、現在では一般的に彼は学者としてよりも、詩人としてより有名である。 伝説によれば、アポロニオスが館長を務めていた間に、数学者かつ発明家であるアルキメデス(前287年頃生-前212年頃死)がアレクサンドリア図書館を訪れた。アルキメデスはエジプト滞在中にナイル川の増水と減水を観察し、これがアルキメデスのスクリューの発明に繋がった。このスクリューは低い位置の水を灌漑用水路に輸送するのに使用することができた。アルキメデスは後にシュラクサイに帰り、新しい発明の開発を続けた。 2つのほとんど信頼することができない伝記によれば、アポロニオスは『アルゴナウティカ』の初稿がアレクサンドリアで敵対的な反響を得たために、図書館長からの辞任とロドス島(後にこの島の名前が彼の綽名となる)への移動を余儀なくされたという。実際には、アポロニオスの辞任は前246年のプトレマイオス3世の即位のためである可能性がより高い。
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