初期の宋学について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 12:39 UTC 版)
宋学の主張を要約すると「異民族をうちはらえ。王を重んじよ」であるが、もともと儒教に、この思想はなかったとされる。司馬遼太郎は著書『この国のかたち』の中で、「儒教では血族の紐帯を論理化し、かつ役人の教えを説いたもので、その思想には本来、尊王や忠君という要素はなかった。そこに宋学派の孫泰山(992-1057)が『春秋』(前480年頃成立)のなかからそういうことばをさがしだして、『春秋尊王発微』という本をあらわした。要するに自分の思想の典拠を古語にもとめただけで、孫復(孫泰山)の独創にちかいものだったし、尊王という熟語も、かれによってはじめて用いられたもので、その思想に本来、尊王や忠君はなかった」としている。
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