初期の官歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:17 UTC 版)
維盛は『尊卑分脈』『公卿補任』『平家物語』等では重盛の嫡男とされている。 一方で維盛は仁安2年(1167年)2月7日に叙爵され、美濃権守となっているが、異母弟資盛は前年の11月21日に叙爵、11月30日に越前守となっている。九条兼実の日記『玉葉』の嘉応2年(1170年)7月23日条では、資盛を「嫡男」と記していることなどから、この時点では資盛が嫡子であったという説や、実際には資盛が年長であったという説もある。嘉応元年(1169年)正月には、資盛とほぼ同時に従五位上に昇進している。 嘉応2年(1170年)7月、資盛は殿下乗合事件の当事者となり、以降の昇進が停滞する。事件が一応解決を見せた12月、父の重盛が権大納言を病のため辞したが、その際に維盛を右近衛権少将に推挙している。高橋秀樹はこの時期に維盛が嫡子にされたのではないかとしている。維盛12歳の時である。承安2年 (1172年)、藤原成親の次女・新大納言局を正室に迎える。この年には従兄弟の平徳子が中宮となったのに伴い、中宮権亮となった。『玉葉』に維盛が登場するのはこの頃が初めてであるが、「14歳であるというのに作法が優美で人々が驚嘆している」と兼実は記している。
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