初期の大陸概念とは? わかりやすく解説

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初期の大陸概念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 02:39 UTC 版)

大陸」の記事における「初期の大陸概念」の解説

最初大陸区分は、古代ギリシア船員たちが名づけた「アジア」と「ヨーロッパ」だった。ただしこれは単純にエーゲ海ダーダネルス海峡マルマラ海ボスポラス海峡および黒海両岸のことを指していた。当初海岸のみを指していたこれらの言葉は、のちに広大な背景地にまで及ぶようになった。しかし、これらの区分せいぜい航海によってたどりつけ土地までの範囲留まり、「その限界超えて決し分割叶わないユーラシア仕切るためのいかなる説得力を持つ地理的な特徴内陸部見出すことは、ギリシア地理学者たちの手余った」と評されている。 次に古代ギリシア思想家たちは、アフリカ当時リビア呼ばれていた)が果たしアジア一部なのか、それとも異なる場所なのかを議論し、そこが異な3番目の土地だという考え優勢となったギリシア観点に立つと、エーゲ海世界中心であり、東にアジア、西と北にヨーロッパ、そして南にアフリカ位置した大陸間の境界明瞭されなかった。早くから、ヨーロッパとアジア黒海からグルジア流れリオニ川当時はファシス河と呼ばれた)に沿って分けられた。その後、この線は黒海起点ケルチ海峡アゾフ海通ってロシアドン川遡上する形と変化したアジアアフリカ境界ナイル川置かれた。しかし紀元前5世紀ヘロドトス は、これではエジプトアジアリビアアフリカ)に分断されしまうた反対し、同地はあくまでアジアだとの主張元に境界エジプト西側国境線置いた。また彼は、実質的に陸続きのこの3地域をわざわざ分けることに疑問呈し、この論争2500年後の現在でも取り沙汰される紀元前3世紀エラトステネスは、地理学者たちが主張するナイル川ドン川区分される大陸部分に着目し、川で区分される大陸を「島」、地峡分けられる大陸を「半島」と考えた。彼以後地理学者たちは、アジアヨーロッパ区分カスピ海黒海の間の地峡に、アジアアフリカ区分地中海沿岸のバルダビル湖((en))河口から紅海の間に置いた古代ローマから中世の間、シナイ半島アジアアフリカ境界に置く地理学者はわずかで、ほとんどは依然としてナイル川もしくはエジプトの西境を基準置いていた。中世には世界TO図形式描かれ、Tが3つの大陸分割する水域として表現されるようになったが、18世紀中ごろまで境界エジプトリビアの間(Great Catabathmus)に求め流儀はしぶとく残っていた。

※この「初期の大陸概念」の解説は、「大陸」の解説の一部です。
「初期の大陸概念」を含む「大陸」の記事については、「大陸」の概要を参照ください。

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