戦前・戦中の国鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:57 UTC 版)
「高速化 (鉄道)」の記事における「戦前・戦中の国鉄」の解説
戦前においては輸送力の確保・路線の建設による延伸こそが主目的であり、対抗できるような他輸送機関もなかったため、現在ほど高速性への要求自体は大きいものではなかったが、運転上隘路になっていた区間の新線切り替えや増線(複線化)、上越線のような短絡線の建設、重要線区の電化延伸などが絶えず行われており、超特急「燕」号のような極端な例では、機関車交換を省くロングランに加え、補機の走行中開放、給水停車をも嫌った水槽車の連結、走行中の車外を伝い歩いての乗務員交代が行われていたなど、線区・列車によって程度の差はあったものの、高速化に対する努力はなされていた。 しかしながら、太平洋戦争開戦以後は軍需物資の輸送が第一となったため、このような「不要不急」の高速旅客列車は姿を消していくことになる。 参考 東海道本線優等列車沿革 あじあ号
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