戦前ヨーロッパのV型8気筒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:08 UTC 版)
「V型8気筒」の記事における「戦前ヨーロッパのV型8気筒」の解説
ヨーロッパでは、自動車が平均的にアメリカより小型であったため、ほとんどの需要に単純な直列4気筒ないし6気筒エンジンで対応できたことから、量産車におけるV型8気筒は一般化しなかった。 また特殊な大型高級車については、第二次世界大戦以前は直列8気筒やV型12気筒が主流であった。戦前はボンネット短縮の必要性が低く、長大なエンジンを搭載した高級車の長いボンネットは却ってステータスであった。大排気量の多気筒エンジンが必要なら、生産しやすい直列8気筒を手堅く製造するか、さもなくば航空機エンジン生産技術(少なからぬ高級車メーカーが航空エンジンメーカーを兼業していた)を生かして、V型8気筒よりもスムーズなV型12気筒まで飛躍していたのである。直8に比して生産性の面で有利とは言えないV型8気筒を、敢えて採用するメーカーは多くなかった。 例外的なケースとしてV型8気筒を量産した代表例としては、フォードのヨーロッパ法人各社があげられる。1935年以降、英国フォード、ドイツ・フォード、マットフォード(フランスのマチス社とフォードの合弁会社。のちフォード単独出資のフォード・フランスに取って代わられる)がアメリカ本国に倣ったV型8気筒モデルを生産した。フォード・フランスは戦後も長年にわたりV型8気筒モデルを生産し、1955年にシムカに買収された後も1962年製造終了の「シムカ・アリアーヌ8」までV型8気筒車が存続した。これらは最後までサイドバルブ方式だった。 ドイツでは1930年代にホルヒがV型8気筒エンジンモデルを生産したが、同社主力エンジンの直列8気筒にとって代わるまでには至らなかった。チェコのタトラは空冷V型8気筒エンジンをリアに搭載した流線型セダンを1934年から限定生産するようになり、以後1950年代の一時期を除いて、1998年まで空冷V型8気筒リアエンジン方式に固執して乗用車を生産し続けたことで特異なメーカーであるが、技術的には完全に他から孤立した存在であった。 イギリスでは他にライレーが1930年代中期、既存の4気筒エンジンの設計を利用したV型8気筒エンジンを少量生産した。これは既存の中型シャシに搭載することを考慮したものであったが、相前後してより高性能でシンプルな大排気量4気筒が開発されたこともあり、ライレーの経営悪化を背景にわずかな量が生産されただけで終わった。 フランスのシトロエンはV型8気筒エンジン前輪駆動車22CVの開発を計画し、フォードエンジンを搭載した試作車開発にまで至ったが、量産は実現しなかった。
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