戦前の黄金時代
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映像に対し、音声を加えようとする試みは映画の移入とほぼ同時になされており、河浦謙一は1902年にレコードの回転とフィルムの回転を同期させることによるトーキーの実験を行っている。これらの試みが商業的な脚光を浴びるのは1927年の昭和キネマによるミナ・トーキーであった。アメリカのリー・ド・フォレストからトーキー技術の権利を購入した皆川芳造によるものである。 ミナ・トーキーを使用した小山内薫による『黎明』は技術的な問題から公開には至らず、日本最初のトーキー映画は1929年の『大尉の娘』であった。同年、ミナ・トーキーとは別方式、東條政生のイーストフォン・トーキーを採用しようと研究したが、結局、独自のディスク式トーキーでマキノ正博が監督した『戻橋』が公開された。イーストフォンは一般には浸透しなかった。その後も溝口健二による『ふるさと』(1930年)などが続いたが、字幕と音声を併用したいわゆるパート・トーキーの形式が一般的で、完全なトーキー映画として最初に登場したのは五所平之助の『マダムと女房』(1931年)であった。 資本力のある大会社はこの時代、積極的に無声映画からトーキー映画へと移行を計り、一部例外として小津安二郎のようにトーキーに懐疑的な目を向ける者もいた。1935年には完全に移行を成し遂げるが、財政的に移行の難しい独立プロは1938年ごろまで無声映画を撮り続けた。この結果小スタジオは続々と大手映画会社へ吸収されていく。 また、無声映画時代が終了しても海外映画の解説訳として存続が計られた弁士も、1931年『モロッコ』ではじめて採用された字幕スーパーの登場により、不要な存在となった。既得権益を守ろうとした弁士はトーキー侵出の妨害活動に出たが、時代の流れに逆らう事はもはや不可能となり、弁士の存在は忘れられていった。 こうしたトーキーの出現は新しい俳優の出現や新ジャンルの確立を齎した。落語や声帯模写など、語り芸を生業とする者がスクリーンへ登場し始め、榎本健一、古川緑波などといった喜劇俳優が台頭するようになった。また、『愛染かつら』のように主題歌の流行を通して人気を博す映画も現れるようになった。 トーキー映画の出現は撮影期間の長期化という現象を齎すこととなった。これがきっかけとなり日活は1934年に多摩川へ、松竹は1936年に大船へそれぞれ撮影所を移転・拡充した。それぞれの特徴として日活は重厚で泥臭い作風を、松竹は洗練された都会風の作風を得意としていた。日活を代表する監督としては『人生劇場・青春篇』(1936年)、『土』(1939年)の内田吐夢、『蒼氓』(1937年)、『阿部一族』(1938年)の熊谷久虎、松竹を代表する監督としては『隣の八重ちゃん』(1934年)の島津保次郎、『愛染かつら』(1938年)、『一人息子』(1936年)の野村浩将、『有りがたうさん』(1936年)、『花形選手』(1937年)の清水宏などが挙げられる。こうした一連の作風に疑問を投げかけた溝口健二は『浪華悲歌』(1936年)、『祇園の姉妹』(1936年)などで方言を用いた作品を撮り上げ、既存の「映画は東京弁でなければならぬ」という概念を打ち崩していった。 1930年に設立されたPCLは1933年より映画製作業界への参入を表明した。黒澤明や本多猪四郎、瀧口修造、井深大など、多数のスタッフを集め、日本で最初のプロデューサー・システムを採用した会社となった。初期には木村荘十二の『河向ふの青春』(1933年)、『兄いもうと』(1936年)や松竹より移籍してきた成瀬巳喜男の『妻よ薔薇のやうに』(1935年)、石田民三の『花ちりぬ』(1938年)などが人気を博した。特に成瀬の『妻よ薔薇のやうに』は海外進出も実現し、ニューヨークで一般公開された初の日本映画となった。当初、PCLは配給館を所有していなかった事から、興行的な苦戦を強いられたが、1937年、小林一三などの働きにより「写真化学研究所」、京都の大沢商会の映画スタジオである「J.O.スタヂオ」、阪急資本による配給会社「東宝映画配給」などと合併し、東宝映画として配給上の困難を解消し、日活、松竹に続く大映画会社となった。 1937年、日本と当時のナチス・ドイツとの間で、一本の国策的映画が製作された。山岳映画を得意としたドイツのアーノルド・ファンクと伊丹万作の共同監督で製作された『新しき土』である。日本での興行的な成績では失敗に終わったが、主演女優として典型的な日本人女性大和光子を演じた原節子はその容貌と演技が絶賛され、戦時下の日本映画において欠かせない女優となった。
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