戦前の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/16 05:57 UTC 版)
主に2両編成で特急に使用されたが、時には単行で普通運用にも充当されていた。 1930年4月1日に900形による特急の運転を開始し、阪神間を西宮北口駅のみ停車して梅田-神戸(上筒井)間を30分で結んだ。1932年10月には阪神間の所要時間を28分に短縮し、1930年と1932年には本形式と同じ台車や電装品を使って800形の電装改造を実施、両形式単独で単行から3両編成で運行することで普通列車の速度向上を図ったほか、同時に神戸線に残っていた51形木造車と500形の制御車である700形を全車宝塚線に転出させて更なるスピードアップの基礎を作った。 1934年5月には900-904の5両に対して、電装解除された800形800-803・806のモーターを取り付けてモーターを4基搭載、出力増強を図るとともに、この800形を神戸側に連結して2両編成を組むこととなり、特急運用にも充当された。6月には920系が登場して、それまで本形式が中心となっていた特急運用に加わっている。 翌7月から阪神間の特急25分運転が開始され、本形式は920系とともに特急運用に充当された。1936年4月には念願の三宮乗り入れを果たし、路線距離は約3km延びたものの、特急は従前同様の阪神間25分運転を維持した。1937年4月から新京阪線の急行に連絡する特急の十三駅停車を開始したが、このときも阪神間25分運転を維持している。 本形式は特急運転開始以降、主力車両として特急運用に充当され、その高速ぶりが当時の阪急のキャッチコピーであり、現在でも昭和初期の阪急を紹介する際の枕詞に使われることがある、「快速阪急」の象徴として語り継がれることとなった。
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