製造と戦前の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/02 16:09 UTC 版)
「東武トク500形客車」の記事における「製造と戦前の運用」の解説
東武鉄道は1929年に、日光方面への観光輸送を目的にして日光線を開業させるが、それとほぼ同じくして、貴賓車として製造された豪華車両がこのトク500形であった。 日本車輌製造東京支店により製造された木造車であるが、定員8名のオープンデッキの展望室兼食堂に加え、定員8名の随員室、それに料理室とボーイ室を備えた、最大20人乗りという豪華車両であった。 貴賓車というものの、実態は現在のジョイフルトレインに近いものであって、婚礼や旅行などの団体専用列車で主に用いられた。1930年11月からはそれに加え、特別車座席券制度が制定された事により、一般の特急列車の最後尾にも連結され、別料金を払う事により一般旅客も使用できるようになっている。 1932年頃には通年特急列車に連結されて使用されたが、運転台がないことから常に他の列車の最後部に連結しなければならないこと、両端駅での推進運転や転車台を使用する入替作業が必要な欠点があり、次第に稼働率は落ちていったと言われる。 その後、デハ10系のようなロマンスカーが特急用車両として製造されると、目玉車両としての地位も譲り渡し、戦時体制に突入して観光輸送どころではなくなった1943年には廃車扱いになってしまった。その後は工場の事務所代わりに使われていたが、車両の荒廃は進んだ。
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