海原幸夫
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海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年不詳)は、日本の録音技師である[1][2]。戦前の日活京都撮影所、および戦時統合による大映の成立後も引き続き戦後も大映京都撮影所で技師を務めた[2]。
- ^ a b c d e f 佐藤、p.149.
- ^ a b c d e f g h 海原幸夫、日本映画データベース、2012年11月14日閲覧。
- ^ a b 大映京撮スタッフ紹介、立命館大学、2012年11月14日閲覧。
- ^ 読売年鑑[1958]、p.574.
- ^ 第11回(1956年)、毎日映画コンクール、2012年11月14日閲覧。
- ^ a b 海原幸夫、テレビドラマデータベース、2012年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 海原幸夫、日活データベース、日活、2012年11月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 海原幸夫、日本映画情報システム、文化庁、2012年11月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 海原幸夫、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月14日閲覧。
- ^ 大江戸の闇、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月15日閲覧。
- ^ 日本映画の発見II トーキーの開始と戦前の黄金時代、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月14日閲覧。
- ^ 振袖狂女、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月14日閲覧。
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